「考えること」について考えてみた【連載|高校生が現代を考える#25】

今回も、当連載記事をお読みいただき、ありがとうございます。NGTです。

 


【連載|高校生が現代を考える】SDGs編 Back Number

【高校生が現代を考える#24】2020年度を総括する、「様々なものを失ってきた最後に大切なものを拾い集める」

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 2021年も始まり、刻々と時は流れていく一方です。日本では、東京をはじめとする1都3県に緊急事態宣言が発出され、再び新型コロナウイルスの封じ込めへの機運が高まってきているようです。昨年一年間を通して、コロナ禍による新しい生活様式が定着しつつも、その一度閉ざされた生活は取り戻されていきました。今年一年間、ワクチンや治療薬開発のさらなる進展に期待し、従来のような社会生活が再び送れることを願っています。

 

 さて、昨年は、自粛、自粛と事あるごとに呼びかけられ、全ての人が人生史上、一番家にいる時間が長かったのではないかと推察します。それほどに、このパンデミックは非常時であり、ある種の転換点だったわけです。そうして、いつもと違う生活を送っていると、これまでの生活に当たり前にあったモノ・コトの意味をおうちで深く考える機会も多々あったことだろうと思います。

 

 僕自身、昨年は、今までで一番読書をした年になりました。というのも、これまでは、学校や部活などで、読みたいと思った時に本を読めるとは限らず、中々種々の本に目を通すことがかなわずにいました。ただ、数えてみたところ、昨年は全部で35冊ほど読書をしており、僕個人としては結構な冊数に到達したなと振り返りをした次第であります。

 

働くことの意義を考える

 

 さて、本題に入りましょう。今回の記事では、「考える」という行為そのものについて、現代社会的な考察を交えつつ考えていこうと思っています。昨年末に至るまで、本連載でSDGsについて取り扱い、時事的なテーマが多かったのに、いきなり僕が、このようなテーマ設定をしたのには、ある出来事を僕自身が経験したことが深く関わっているので、まずはそれをお聞きいただきましょう。

 

 その出来事というのは、それほど特別なものではなく、僕の通っている高校で数日前に受けた何の変哲もない授業のことです。教科は「保健」。僕らは、今後長きにわたって生きていくために必要な健康に関する知識を身につけるべく、保健の授業を受けています。そして、その回は「労働と健康」というテーマでした。

 

 現代社会で、「労働と健康」というと、数年前からメディアで大きく取り上げられている過労死などの「働きすぎ問題」などの労働による健康への影響について学んだわけです。そして、授業の冒頭、先生は「働く意義とは何だろう」という問いを僕ら生徒に投げかけました。

 

 みなさんも、是非考えてみてください。この記事を読んでくださっている皆さんの中には、すでに社会人として立派に働いている方も、まだ学生で本業が学業である方もいらっしゃると思いますが、あなたにとって働くことの意義とは何ですか?

 

 授業内では数名の生徒が、発問に対するそれぞれの出した答えを発表しました。その中には、「生活していくお金が必要だから」といった堅実で現実的なもの、「社会の一員としての責任を果たすため」といったより社会や共同体の概念に根ざしたもの、さらに「自分の持っている能力を活かすため」といった少しクオリティー・オブ・ライフ的な視点が加わったものなどが挙がりました。おそらく、皆さんの多くもこの辺りの答えをだされたのではないかと思います。

 

 まだ学生である僕らには、幾度となく自分の将来像について考える機会があり、その中で自分の進路を定めていくわけです。その過程には、もちろん、自分が将来どのような職業に就きたいのかという視点が含まれ、それを考えるときに欠かせないのが、このなぜ働くのかという問いに対する自分の考えを持っていることです。そして、この問いに対する答えを考える機会が多いということによって、これらの王道の答えが暗黙のうちに、社会の中に用意されていると感じます。もちろん、これら王道の答えを引用して自分のものにするだけでも、自分が必要最低限の生活を確保したいのか、それとも好きなことをとことん追求したいのか、といった選択の余地はあるわけです。

 

 しかし、よく考えてみてください。僕たちは、学業を修めたのち、数十年にわたって働いていくわけです。人生の多くの時間を働くことに費やし、人生はどう働くのかに左右されるわけでもあります。それを、たった数分考えただけで、「自分にとって働くってこういうこと」、というように確立させることが果たして可能なのでしょうか。現代人が、このような機会以外で、すなわち、ふとした瞬間にじーっとなぜ働くのだろうと熟考しているように感じれないので、このままだとただ何となく働いている人が続出しそうで心配になってきました。

 

「考えること」について考える

 

 やはり、今後数十年にわたって付き合っていかなければならない「仕事」。そんな仕事について思いを馳せるためには、やはりもう少しまとまった時間が必要ではないでしょうか。同じように、家族、友だち、学習、自然など、僕たちが生まれながらに受け入れてしまっているモノの意味・意義を一度深く考えてみる機会が人間には欠落しているように感じます。コンピュータ、AIなど人間の存続を脅かしかねないモノの存在感が増している現代だからこそ、その重要性はさらに高まっているようにも思えます。

 

 その顕著な例が、現代における「大量消費」です。しかも、僕らは「コト」までも大量消費してしまっているのです。その代表が、近年急成長を見せているサブスクリプションサービス。Apple MusicやSpotifyなどのサービスに月1000円ほどの金額を支払って何千万もの曲が聞き放題になるなんて数年前まで夢物語のように考えていた僕も、今ではれっきとしたApple Musicユーザーであります。しかし、聞く音楽の選択肢が莫大な数、与えられているがゆえに1曲1曲を精読ならぬ精聴している人は年々減少しているのではないでしょうか。

 

 最近では、次々にユーザーが音楽を消費するために、前奏のない、いきなり歌に入る曲が増えたとも聞きます。レコードやCDが全盛の時代には、一枚一枚にお金がかかっていました。特に僕らのような学生だとたくさん買えないために、小遣いをためて本当に欲しいものを買ったり、友だち間で貸し借りして量を確保したりといった音楽生活を送っていました。ただ、それはもう僕らの親の世代の話のようです。

 

新たな課題へ向けて

 

 インターネットに推し進められた「速い時代」だからこそ、遅さを重要視したいものです。一日中じっと座って、家族愛や友情について本気で考え抜くという行為の価値が、相当に高まっている時代なのだと思います。これはつまり、「考えるという行為」の価値の向上であります。

 

 その実践としてではないですが、本連載ではSDGs編も一息ついたところですので、新しいテーマ設定として、「本気で考え抜くこと」を掲げたいと思います。これから、どれほどにこのテーマが広がっていくのかは、現時点の僕にも未知数ですのでわかりませんが、各回ごとに一つの題を定めて、時事的な話題を織り交ぜつつも、そのテーマの意味・意義を考え抜いていければと思います。今後とも、本連載の記事をお読みいただき、僕の思考の遍歴を見守っていただければこの上ない幸福です(もちろん、この幸福ということに関しても例外なく本意を探っていかなくてはなりません)。これからも、どうぞよろしくお願いします。

 

文責:NGT(Nagata Shunta) @ngt_nanoka

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