『受験必要論』林修著 書評 (2)

今回から「いつやるか?今でしょ!」で有名な林修先生が書かれた『受験必要論』の書籍レビューを数回に分けて行います。

本日はPart.2です。

まだPart.1をご覧になられていない方は、一度拝読してから今回の記事を読むとより一層と大学受験に対する理解が深まると思います↓

『受験必要論』林修著 書評 (1)

本書を読んで①気になった項目を幾つかピックアップして紹介するとともに、②それらを踏まえた私(miyabi)の意見を記していきます。

本書では、林修先生の長年における予備校講師経験をもとに、大学受験がなぜ必要なのか、大学受験は今後どうあるべきなのかが記されています。

私はこの書籍を自分の受験前に拝読したかったと非常に後悔していますが、これから受験する方々や、現在の大学受験制度に疑問を抱いている教育関係者の方々にはぜひ一度拝読して頂きたいです。

林先生の並ならぬ経験値をもとにした書籍ですので、書かれている一言一言に私は心を打たれました。

では見ていきましょう!

Contents
1.飛び級を導入せよ
2.日本史を必修化すべきである
3.一芸入試やAO入試にはあまり賛成できない

1.飛び級を導入せよ

本書によると…

優秀な生徒の中にはただ単に受験可能年齢まで待っているだけの生徒たちが多々いるのです。

学校生徒の学力を3つに分けるとしたら以下のように分類できます。

下位層 ··· 勉強ができない
中間層 ··· 頑張ればできる
上位層 ··· 放っておいても大丈夫

上述の3層に分岐しますが、本書は下位層と上位層に対する日本のアプローチの仕方、現状日本の中間層偏重主義的な教育体制を問題視します。

日本の元来の教育制度は、下位層を「できない生徒」呼ばわりしつつ、上位層に学習を停滞させ、中間層に照準をあわした形態に偏重しすぎてきたのではないかと。

まず、受験や勉強にも適性があり、下位層の人々で「どれだけ頑張っても伸びない」という人は少なからずいるのです。

そして教える側は中間層であった経験が多いので、「頑張れば俺たちもできたんだから、君にもできる」という調子になっています。

加えて、上位層のトップは先程紹介したように「待たなければならない」という制度設計に苦しみ、一番若い頭脳が必要とされる理系科目の飛び級制度を経験することができません。子供の方がコンピュータに関する記憶も良いし、飛び級制度が確立していないのは日本だけじゃないかと。

上位層が背伸びできる環境を整備することや、もっとお尻を叩いて次のステージへ送り出せる環境構築の重要性です。

文系に至っては、人生や社会経験が必要で、それらの経験がない法律家や法学者が存在するのはあまり好ましくありません。なので十分に学ぶ機会が必要です。

しかし、こと理系に関しては計算処理速度等の若い頭脳に有利な面が多いので、そこを生かして欲しいと林先生は云います。

理系人材が不足している中で、今の固定的で飛び級のない受験制度・教育制度を見直すことが非常に大切であると本書では強調されているのです。

〜 miyabiの意見 〜
この意見は全面的に賛成。しかしながら、日本は人類史的になのか民族習性的になのか未だに「みんな一緒」「人と違うのが嫌だ(怖い)」という風潮がありますよね。

中間層や平均という言葉が重んじられた教育体制の中で、心太にして育て上げられた人々がそう思うのも仕方ないでしょう。

そしてそれこそが、「出る杭を打つ」という日本の伝統的外圧に影響を及ぼしているのだと思います。

全員とは言いませんが、小学生から高校生の12年間をそのような環境で過ごすと、現代の多様化する社会の実情に目を背け、マイルドヤンキー的行動が横行します。

そして、教育も含め、日本という国に内在する空間・環境的欠点は、人種の流動性がないことだと思います。

肌の色や言語の違う人々との交流機会が他国と比較して少ない為、目に見えてわかる「人と自分は違うんだ」という感覚を生まれながらにして持ちにくい環境下で人々が育て上げられてしまうのだと私は考えています。

「目に見えるレベルで人との違いが分かること」は意外と大事だと思います。
そういう各々特性を有した人々が活発に議論し、交流することでこそ、メタ認知的に自分の立ち位置や相手の立場を容易に理解することができるのです。
そうすることで、世界には色々な人が存在していて、私は私でいいんだと感じることが可能になるのだと思います。

私の場合にはヨーロッパやオセアニア地域に留学した経験があり非常に痛感するのですが、そういった体験を幼少期から積むか否かで、人に対する考え方は全く違ってくると思います

同調圧力や人との差異を笑ってしまう日本は、果たして現在のグローバル社会で活躍できる人材を輩出していけるのでしょうか。

飛び級制度にも関連しますが、少なくとも、今の日本では必要条件として「他者を認め、突き出ること、遅れることを恐れない」という心構えが必要なのではないでしょうか。

日本の教育制度は、学習内容より、学習環境に大いなる欠陥が潜んでいるのだと思います。

慶應義塾大学 安藤寿康教授が著書の中で語られていたのですが、「能力や才能は、社会的に認められて初めて価値となる」のです。

今回の『受験必要論』書評のPart.1でもご紹介しましたが、多様化した個性尊重型の現代社会だからこそ、日本が国を挙げて多くの物差しを用意し、その能力を社会的に承認していくことが大切になります。

もしも総合型大学で、Part.1で述べたような一般入試の合格点数が35/300点というような大学に助成金を与えつつ、存続させていくくらいなら、提案として、国立映像大学国立寿司大学マグロ科国立ヒッチハイク大学海外科などを創立すべきでしょう。

そうして大学教育の中に多様性が担保されることで、その入学者たちも「自分たちはこれが得意だからこれをする。でもあいつはあれが得意だからあれをした方がいいんだなぁ」と互恵的で健全な誇りを育んでいけるのだと思います。

今回のご著書の言葉を借りるならば、「お前は勉強ができる。俺はうまい寿司が握れる。」ような空間的にも人種的にも多様性を大いに許容する社会を設計したいところです。

私も口だけではなく、行動を進めていますが、まだまだなので、もっと社会的な救いになる活動を模索して参りたいと思います。

 


 

2.日本史を必修化すべきである

本書によると…

林先生は右傾化しているわけではないのですが、先進国中でこれほどまでに自国の歴史を知らない人がいて本当に良いのか、という疑問を提起しています。

本書には、日本がなぜそのような状況になってしまったのかが記されています。

要は「日本が戦争に負けたから」だと。

戦前における日本国の歴史教育は、確かに天皇神聖化傾向が強く、軍国主義が良いとは絶対に肯定できないですが、戦争敗戦により戦前に行っていたことが全て誤っていたかのように日本が捉えてしまったというのです。

戦後はGHQ的思想で自由主義が広まり、選択科目形式に移り変わっていきますが、やはり今でも、一人の人間が自国の歴史を深く学ぶことの重要性を林先生は強調します。

そして、歴史教育に関連して、本書で林先生が影響を受けたと紹介されているのが『戦略的思考とは何か』(中公新書) 岡崎久彦著です。

岡崎さんは明治時代の外務大臣 陸奥宗光の親戚にあたる方で、「歴史的ビジョン」を持つことの大切さを説いています。

林先生が仰るに「現在というものを捉えるときに、どのような過去の延長線上に現在が位置するのか」という考え方が重要なのです。

だからこそ、点でポツンと判断するのではなく、物事をしっかりと観ることができると。

大学教育を受けようと思っている人は理文系に関わらず、全員に自国の歴史を学んでほしいというのが林先生の主張です。

〜 miyabiの意見 〜

ここに関しては基本賛成ですが、慎重になるべき部分も多々あると思っています。

筆者miyabiが考えるのは、「歴史を学ぶこと」以前に「生徒に唯一絶対的な歴史観を伝えることはできない」という教育の重要性です。

先ほど取り上げた日本の同調圧力的風潮もそうですが、物事を多面的に見る力がないと、歴史教育においても「あれは絶対あの国が悪い!」「ここであの人物が出てきたから全てがオカシくなってしまったんだ!」と史実を断定する生徒が量産される危険があります。

なので、上記の林先生の意見(皆が自国の歴史を学ぶことが肝要だということ)には賛成なのですが、それ以前に、歴史とはどういうもので、誰がその教科書を作り、そこには必ず主観的考察が潜んでいるということを教えるべきだと思います。

その為にも、子どもたちには学習をする際に、超積極的に「スマホ」「PC」を利活用して欲しいと思います。
学校も今回(2020年3月現在)のCOVID-19の影響を含め、ICT化をより加速させて、ネット環境の有用性を子どもたちや親御さんに認知させるべきでしょう。

特に歴史という科目に関しては、教科書内に記載されている史料や考古学的発見のみでは精査しきれないことが多々あります

自明だとは思いますが、そもそも”経済安定9原則”・”ドッジライン”と単語だけ書かれていても、教科書だけでは理解できないことが多分にありますので、ここでGoogle先生に大いに頼りましょう。

色々な画像を閲覧すれば、単語と画像がリンクして覚えやすくもなりますし、以前私が紹介したメンタリストDaiGOさんの『超効率勉強法』にも記載されている通り、物事をチャンク化(塊ごとに分けて覚えやすく)する技術にも転用しやすくなると思います。
参考程度に↓
『超効率勉強法 ~最短の時間で最大の成果を手に入れる~』DaiGo著 【書籍レビューPart.1】

「その単語の説明は、あのサイトが分かりやすかった」や「この流れを理解したい場合は、あの映像授業が役立つよ」といった使い分けを上手にして欲しいなと、受験の先輩として私ながらに考えています。

そしてそうすることで、学校で教えてもらったことだけが全てじゃないと思えてくるのだと考えます。

 


 

3.一芸入試やAO入試にはあまり賛成できない

本書によると…

大学はそもそも一芸入試で人材を集める場所なのか?

大学はやっぱり学問の場であると林先生は主張します。

あるエピソードでは、小論文と面接で合否を決めるAO入試を導入した大学が、初年度は様々な答案用紙が提出されて面白かったけれど、2年目3年目になると、予備校がこんなふうに書けばいいというマニュアル指導書を作成してしまい、類似した答案ばかりでつまらなくなってしまったらしいのです。

林先生はこの事案に対し、このような入試改革は、生徒のことを考えてというより、少子化の中で私学が生き残りをかけて行っているのではないかという見方です。

そして、仮に行うにしても、欧米のように出口を厳しくしなければ意味がないと。
「100人入れたら100人全員卒業させなさい」という強的圧力の働く日本においては、十分に大学で勉強することもないままに学歴だけ与えて社会に送り出す可能性が十分にありうると。

〜 miyabiの意見 〜
その通りだと考えます。

それを踏まえて筆者miyabiが感じる、現代の大学教育における問題は「部活動の場と学問の場を1つに統一してしまっていること」だと思います。

大学と部活を結合すれば、当然その中(部活の中)で良い選手を起用したいという思いが生じ、どうかその枠(推薦・AO等)を広げてくれないか、となるに決まっているのです。

実際私の体験として、推薦入試やAO入試において、一芸的な観点を評価されて大学入学を果たした友達は、その後大学という研究機関の貴重性を生かしきれていないように思います。

本書の中で林先生が指摘されているポイントでもありますが、もし一芸入試を採用するなら、それは養成所として行うべきであると。

吉本興業には専門の養成所がありますが、特にスポーツでは、そうした養成所が大学の部活より盛んであるとは心底思えません。

Part.1でお話しした事と同じで、昨今の大学教育における学問的素地(大学において意見を発し、グループワーク等の対話において議論を展開する力)のない人々を、一芸に秀でている人が欲しい!と言いつつも、無意識に大学側(選考者側)が本来的な大学の価値を薄めている可能性もあります。

もし、欧米的な発想で「入り口は広く、出口は狭く」するのであれば、その中でブラッシュアップされていく人々は多様に存在すると思いますのでそれでも良いのかもしれません。

しかしながら、そうしたことを考えたときに、最近の教育において私がキーワードだと思うことの1つに「共通言語」という言葉があります。

多様性を担保しよう!人それぞれ違っていい!と謳うことはすごく大切です。

しかし、その場において、学問に必要な「共通言語」が共有されていることは非常に少ないのです。

それだけ多様な人材を「多様性が大事だ。それが命だ。」と言って入学させても、議論や討論というものは、あるトピックに対して前提的な知識的素養、並びに学問的意欲が備わっている前提で始めないと、圧倒的に遠回りをしてしまいます。
議題から逸れた意外な視点から議論を活発化させることも多々ありますが、それは「共通言語(共通する教養的なもの)」あってこそのものではないでしょうか。

今日本が掲げているイノベーションの力やSociety5.0に即した人材育成において、学内の多様性を汲み取ることは非常に大切ですが、その為にも「共通言語」としての基礎的な学問素養がなければ難しいのではないでしょうか。

私はあくまでも一芸入試やAO入試を批判しているわけではありません。林先生と同じく出口を締めることによって効果的に利用できると思っています。

なので例えば、スポーツ等で活躍されている人々は、その人たちにしか体験できない、表現できない事柄が多数存在しますが、その経験を具体的な言い回しや表現方法によって分かりやすく説明することは、彼らでもそう簡単にはできないと思うのです。

何せよ、スポーツなどでは非言語的感覚値としての素晴らしい考え方が存在するので、それを急に言語化しろと言われてもかなり難しいと思います。

でもだからこそ、それを出口の厳しい大学教育で育んでいくことが肝要ではないでしょうか。

そうすることで、彼らにさらなる言葉という武器が装備され、それ(スポーツマンの発言)によって国民が学ぶことの総量も増加することでしょう。

大学教育という学問の場を根底から維持しつつ、一芸的な素晴らしい能力を持った人々と共存しあっていくのは、そのようなやり方もアリではないでしょうか。


 

今回はここまで!

どうだったでしょうか?林先生の俯瞰的思考と、意見を言う際に必ず自分なりの解決策を提示する姿勢は本当に尊敬します。

批判をすることは非常に簡単です。しかし、その後どうすればいいかを提起するのは難しく、それを実行するのはもっと難しいのです。

昨今のtwitterでは誹謗中傷の嵐が発生していますが、吐口としてうまく機能しているとはいえ、もう今や、マウントの取り合い合戦にしか見えない場合もあります。

そのような中で、私も本書の中に記載されている林先生の聡明な思考術を学びながら、しっかりと物事を考え、意見を発信していける人になりたいと強く感じました。

ここでは紹介しきれないものが本書には多量にありますので、ぜひ手にとって読んで欲しいです。

林先生の頭の中を覗く良い機会になると思います!

次回のPart.3では大学受験の具体的な内容について触れていきます!

では、さらば!

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miyabi_kyosaka
教育実践キュレーター。慶應義塾大学在学中。NPO法人日本教育再興連盟ROJE所属。読売新聞学生記者。日本若者協議会所属。某 AO入試専門塾講師。N高等学校出身。|「未来は予測するのものではなく、この手で創る」をモットーに圧倒的行動で教育を一新しようと、教育ジャーナリズムの活動をしております。