『受験必要論』林修著 書評(5) 最終版 〜現代文の価値・受験勉強の意義とは〜


「いつやるか?今でしょ!」で有名な林修先生が書かれた『受験必要論』の書評です。

本日はPart(5)、ラストです。

まだPart(1)〜(4)をご覧になられていない方は、一度拝読してから今回の記事を読むとより一層と大学受験に対する理解が深まると思います。

1記事あたり5分あれば読めてしまいますので、ぜひ↓

『受験必要論』林修著 書評 (1)

『受験必要論』林修著 書評 (2)

『受験必要論』林修著 書評(3)

『受験必要論』林修著 書評(4)

本書を読んで①気になった項目を幾つかピックアップして紹介するとともに、②それらを踏まえた(派生して色々話ちゃう)miyabiの意見を記していきます。

本書では、林修先生の長年における予備校講師経験をもとに、大学受験がなぜ必要なのか、大学受験は今後どうあるべきなのかが記されています。

私はこの書籍を自分の受験前に拝読したかったと非常に後悔していますが、これから受験する方々や、現在の大学受験制度に疑問を抱いている教育関係者の方々にはぜひ一度拝読して頂きたいです。

林先生の並ならぬ経験値をもとにした書籍ですので、書かれている一言一言に私は心を打たれました。

では見ていきましょう!

Contents
1.現代文は全ての教科の原点か
2.受験を経ないで大人になることはいいことか

 

1.現代文は全ての教科の原点か

林先生は、自分の担当教科である現代文は全ての教科の原点と言えるか?という質問に対して以下のように答えています。

よくそういう言い方をされるのですが、僕はそう考えてはいないんですよ。だいたい、そういう言い方をすると、現代文が一番偉いみたいに聞こえてしまう。そうではなくて、現代文は必要条件にすぎない、と捉えるべきではないかと思うんです。つまり、大学の勉強をするにあたって、どんな分野であれ、ある程度論理性の高い日本語がわからなければ話にならない。だから、現代文ができるから素晴らしいのではなくて、できなかったら大変なんだ、そう認識しています。
(中略)
基本的には現代文の学習は、現代文で点をとるために役立つにすぎない。ただ、そういう訓練を通じて、概念的思考力のレベルが上がり、結果として他の科目に好影響をもたらすことはあります。でも、そういう派生的な効果は現代文に限ったことではないと思うんです。1つの科目で一生懸命頭を使うことは、どこかで他の科目に好影響を与えるんです。
引用元:林修(2013年)『受験必要論』集英社(p.162~163)

〜miyabiの意見〜
この視点は、非常にわかりやすい説明でした。

特に賛同する意見は、現代文を学ぶことで、他の科目に良い影響をもたらすという観点です。

読者の皆さんにはこの観点について、より深く考えて頂くため、実際の私の経験をもとに、現代文が他の科目に好影響をもたらすことを例示したいと思います。

私の経験上、現代文は英語の長文読解に使用する能力とリンクしてくるのです。

例えば、現代文を読む際に「筆者の主張は何か?」と考えなければならない場面に遭遇したとします。

その際、私の場合は具体例や対比、比喩などの部分は、全て読み飛ばしていました。

なぜそうしていたのかというと、文章における具体例や対比、比喩等はあくまでも「筆者の主張を肉付けする(分かりやすくする)ためにすぎないもの」だからです。

では、皆さん以下のことを問われたらどう答えるでしょう?(あえてメチャクチャ簡略化した問題なので、すぐにわかると思います)
Q.以下の文章を読んで、筆者の主張を、選択肢のA~Cの中から選んで答えなさい。

日本政府は、国内のIT企業を公的に支援すべきだ。
例えば、BATなどは中国政府による大きな支援によって急成長を遂げ、米国のGAFAに接近し、米中ハイテク戦争を巻き起こしている。
「やらない後悔より、やる後悔」という言葉のように、これ以上世界から遅れを取ると、国の産業が取り返しのつかないことになる。

(A) BATなどは中国政府による大きな支援によって急成長を遂げ、米国のGAFAに接近し、米中ハイテク戦争を巻き起こしている。
(B) 「やらない後悔より、やる後悔」という言葉のように、これ以上世界から遅れを取ると、国の産業が取り返しのつかないことになる。
(C) 日本政府は、国内のIT企業を公的に支援すべきだ。

分かりましたか?

まぁ、簡単すぎるので、一瞬で理解できると思います。答えは(C)です。
要は、(A)と(B)は先ほど列挙した「肉付けするためのもの」なんです。
(A)は具体例、(B)は比喩です。

「なんだぁ。こんな簡単な文章わかるに決まってるじゃん!」と思うかもしれませんが、実は難解な文章になればなるほど、何度も異なる形態で対比が行われていたり、突発的な具体例が用いられていることが多く、その具体例の面白さに惹かれて、文章の本質(筆者の主張)を見失ってしまう人がいるんです。

そうならないためにも、私は、いわゆる肉付けを読み飛ばし、無駄な雑音が入らないようにしていました。しかし、一流の方が書かれた難しい文章を、骨子だけで全て理解するのは難しいので、その場合はあくまでも「これは説明のためのものである」と自分に言い聞かせながら、具体例を読んで理解を深めていました。そうしないと、具体例に引っ張られすぎて、本質を見失うことが多々あったからです。

ではここで話を戻します。

なぜ現代文は英語に役立つのか?それは、英語の「内容一致問題」を解く際に、特に役立ちます。

英語の内容一致問題とは、現代文の内容一致問題とニアリーイコール(≒)なんです。

ではどうやって活かすか。

「for example」や「for instance」などが現代文でいう具体例に当たり、難解な文章で急に「cast pearls before swine(豚に真珠)」が出てくれば、あ!これは比喩による肉付けだ!と思いながら、筆者が本当に言いたいことではないと理解していくのです。
よく難関大の入試問題では、そう言った「引っ掛け問題」が出ます。

なので、最終的には「In my opinion」「As a result」「For the reasons」などの結論言いたいです感の漂う部分に、筆者の真的主張が隠されており、そこを重点的に読むと良いでしょう。

このように、現代文で育んだ知識は英語長文を読解する際にも役立つのです。

特に英語の場合は「単語の大量暗記」や「文法」に結構な時間を取られてしまう科目ですので、現代文において「どう文章を読むのか」を先に学んでおくことによって、こういった読解の仕方を身につけることができるのです。

長くなりましたが、林先生のこの意見には心から賛成致します

ただ、その後に林先生が仰ることも肝に銘じなければいけなくて、現代文は必要条件であり、ある程度他の科目に及ぼす影響には限界があると私miyabiは思っています。なぜなら、どれだけ先ほどのような読解方法を身につけても、英単語を知らなければ何も始まりませんし、文法や構文、英語特有の言い回しが理解できていなければ、普通に文章を読むことすらできません。

なので、折衷的に学んでいく、どちらも並行して学んでいくことが大切です。「現代文が一番偉い」とは思わない方がよいでしょう。

2.受験を経ないで大人になることはいいことか

林先生は、今後の受験をせずに大人になる人が増える時代が予想される中、それについてどう考えていますかという質問に対してこう答えています。

「最初から言っているように、別に全員が受験をする必要はない。何か打ち込むことが見つかっている人にとっては、受験は不要です。しかし、そういう人は少ない。とすれば、そこに受験の意味を見出すことは可能でしょう。10代のうちに自分の人生に真剣に向き合うことを可能にする1つの制度である、と。
受験勉強で得た、入試で点数を取れる能力は、今後の人生で1回も使うことはないかもしれません。けれども、16歳から18歳にかけての時期に、1つの目標に向けて、欲望を抑制しつつ、結果を出すことができたとすれば、それは一生の自信になりえます。
『オレはやればできる』と自分をごまかす生き方は、みじめです。
一方で、どんなことであれ、実際にやって結果を出したことから得られる自信は確かなものです。
まだまだ狭い世界に生きてる高校生にとって、受験がその役を果たしてもいい、そう考えています。そういうわけで、受験は人生にとってそう悪いものでもないかな……これが結論ですね」
引用元:林修(2013年)『受験必要論』集英社(p.182~183)

〜miyabiの意見〜
これに対しては、半分賛成で半分反対です。

半分賛成の理由は、確かに、自制心を育み、その上で受験という目標、大学という門を潜り抜けるために、必要な科目を計画立てて学習するという経験は、人生の大いなる糧になると思うからです。そして、それがその後の人生において「あの時頑張れた」という大きな自信として、自分の中に誇れるものになっていくからです。

しかし、今回私が議論したいのは、半分反対な理由です。

なぜ半分反対だと思うかといえば、例えば林先生の云う「別に全員が受験をする必要はない。何か打ち込むことが見つかっている人にとっては、受験は不要です。しかし、そういう人は少ない。」というのは、ある種、現代の日本の学校教育全般への逆説的な提言ではないかと思うからです。

受験が不要な人もいるが、ほとんどの人はそうでない、と。ここに関しては、そもそも「受験しか自分の力を試せる場所がない」と言っている人を、一般受験という制度が存在することによって(知らない内に)生んでしまっている気がするのです。

すなわち、
受験があるという前提

各学校が受験に向けた対策を毎日生徒にさせる

受験という受け皿を子供たちが知る

じゃあ、何も好きなことなくても、毎日とりあえず勉強さえしとけばいっか! となっちゃってる気がするのです。

今では「うちの子は絶対にあの名門高校に入れるわ!」「あの大学に行ったら将来安泰よ」と言っている人は少ないかもしれませんが、やはり一定数存在するのを、悲しいかなネットでよく拝見します。

しかし昨今は、AO入試や推薦入試枠が拡大されて久しく、現代の社会情勢的には、より「受験勉強的でない人」が求められています。
なので、あくまで受験勉強の価値を否定しているわけではないですが、現代的に見ると、それ以外の方法(課題解決型)で社会に貢献できる人材を育成した方が良いのではないかと思うのです。課題に取り組む人材が生まれた方が良いのではないかと。だからAO入試が台頭してきていることに私は賛成しています。

では一体、AIは圧倒的スピードで事務作業をこなすことはできても、解決したい問題自体を設定することはできないという話があったり、地球温暖化や人為的な環境破壊、世界的経済不況が叫ばれている中、受験勉強的でない人とは誰でしょうか

それはつまり、AO入試型人材だと思います。数々のフィールドワークないしはグランプリでコンテストを受賞している方々、数学オリンピック受賞者などなどです。

その方々の中には、全員とは言いませんが、自分が感じている疑問を社会に投げかけ、それに対する解決策について、海外へ視察に出向いたり、記事を投稿したりして意見発信をしている人が多いのです。彼らが果たす役割は、大学にAO入試で合格することによって、出身高校の認知と人気を高めることだけではありません。

もう1つ重要な視点があります。それは、一般受験をしている人々は塾にこもって黙々と勉強している中、彼らAO入試組は各地を飛び回っているので、それだけでも「移動による経済効果」や「意見発信による同志の獲得」、「知的創造性を高めること」につながっているということです。

基本的にAO入試には前提とされた「答え」がありません。なので、自分が率先して解決したい課題に取り組まなければならないのです。そして、もし最適な解決策が見つかっているのであれば、それはそもそも(その他の難しい問題より)重要な課題ではありませんし、政府の各省庁や色々なシンクタンクが考えても解決できない問題が世の中には山積みなので、大学側も、完璧な解決策を生徒には求めていません。そんな中でも模索し続ける高校生は、正解のない時代、未来を作っていく人材だと思います。

でも、それこそが、AI時代に求められるスキルなのではないでしょうか。

なので、林先生の「受験勉強は、何かの目標を達成したという自信を得られる1つの選択肢」という考え方は良いのですが、受験業界全般を見直し、より実際の社会に接続した形態でのAO入試などを活発化させれば、より一層と(一般受験という部屋にこもりがちな活動に比べて)社会に貢献しつつも、(林先生の仰る)16歳〜18歳で何かの目標を達成したという自信が持てるのではないかと思っております。

まぁ、ぜひ受験生の方には、一般入試が正解でもなければ、AO入試が正解というわけでもありませんので、学びたい内容、解決したい社会課題について知れる大学を真剣に選び、受験していって欲しいなぁと思います。

それが「課題解決的なAI時代に求められる、社会にとって肝要な目的意識を持って、主体的に(グローバルに)活躍できる人材を目指すこと」にもつながっていくと思います。


 

今回はラストということで、私からも対案的意見を盛り込みましたが、これからの大学受験や受験勉強の在り方を考えていく上で、読者の方の参考になれれば幸いです。

ありがとうございました。

ためになったと思った方は、ぜひSNS(TwitterやFacebook)で共有して欲しいと思います👍

気になることや議論したいことがあれば、コメント待ってます👌

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miyabi_kyosaka
教育実践キュレーター。慶應義塾大学在学中。NPO法人日本教育再興連盟ROJE所属。読売新聞学生記者。日本若者協議会所属。某 AO入試専門塾講師。N高等学校出身。|「未来は予測するのものではなく、この手で創る」をモットーに圧倒的行動で教育を一新しようと、教育ジャーナリズムの活動をしております。