【オイルショック・石油危機とは何だったのか】サクッと雑学思考

 雑学紹介シリーズ雑学思考では、雑学を単なる雑学で終わらせず、既存知(知っていること)とを自分独自で「統合」し、「思考」するプロセスを重視しています。学校や塾の授業で使ってみてね。知って終わりを卒業し、知って・・・知って・・・もっと知って・・・・・・、最後にメチャメチャ考えよう!


 

 今回はオイルショック、俗にいう石油危機を取り上げてみます。「とりあえず、石油の価格が高騰したんでしょ」というような浅薄な理解ではなく、全世界に衝撃を走らせた2度のオイルショックを深淵から学びましょう。

 

Ⅰ オイルショックとは何か 〜まず定義をしっかり確認しよう〜

 オイルショックとは、わかりやすく言えば、石油を輸出する国家(産油国と言います)、例えばサウジアラビアやイランなどが、石油価格を急激に値上げすることで発生する世界的な経済的打撃、経済的混乱のことを指します。

 

Ⅱ 第1次オイルショック 〜中東の石油にエネルギーを依存する先進国の末路〜

 1973年、第4次中東戦争が勃発します。そんな中、OPECの加盟国であるサウジアラビアやイラン、ペルシャ湾岸6カ国が原油の公示価格を70%も引き上げてしまいます。さらに、ペルシャ湾岸の6カ国は、第4次中東戦争の敵国であるイスラエルに対し、石油供給抑制を狙いに石油採掘の削減を命令し、イスラエルの勢力に加担した支持国であるアメリカやオランダに対しても禁輸を決定しました。イスラエルを遠方で支援していたアメリカやオランダは道連れに遭うわけです。結果的に、ペルシャ湾岸6カ国を中心に輸出される原油の価格は、たった3ヶ月の間でおおよそ4倍にまで跳ね上がります。

 ここで「いやいや、日本人は関係ないでしょ」と思うかもしれません。でも、それは大きな間違いです。国際政治や国際的な経済関係は非常に緻密で、複雑に絡み合っているため、日本と〜国という単純明瞭は意味づけでは判断しきれない場合が往々にしてあります。第1次オイルショックでは、日本は戦後の占領改革をGHQを基盤とするアメリカ合衆国側から被っていたので、アメリカの国益の損失は日本にも影響するのです。日本も実質的にはアメリカと同様に中東地域に石油資源の輸入先の多くが依拠していたため、その打撃を1人だけ逃避することは不可能でした。

 

  • 紙を買い占める主婦たち 〜トイレットペーパーが必要なんだ!〜

 第1次オイルショックが勃発した後、当時の首相であった中曽根康弘総理大臣によって「皆さんで紙を節約しましょう」という号令が発出されます。その結果、世間の「やばいやばい」という声が殺到し、大阪府 大阪市を筆頭にスーパーの店頭に陳列されたトイレットペーパーや、直接的な関係のない洗剤、砂糖、醤油なども消え去りました。政府も流石に焦ったのか、緊急措置として買い占め殺到を防止する為の法律を制定し、第1次オイルショックの騒動はなんとか終焉を迎えました。物価指数に関しては、当時すでに田中角栄元首相による列島改造論がブーム化していら事実も相まって、強烈な激高となります。実際の価格では5倍程度に急騰していました。列島を改造している間に知らないところで石油の輸入が禁止され、当時の市民としてはたまったもんじゃなかったでしょう。

 

Ⅲ 第2次オイルショック 〜もう勘弁してくれぇ〜

 第2次オイルショック、発生しちゃいます。イラン革命という社会変革が中東で発生したことにより、イラン国内での石油生産が中断しちゃったのです。1970年代の末〜1980年代初頭にかけて、たった3年間で原油公示価格がなんと2.7倍も高騰しちゃいます。でも安心してください。人は学びます。かつてのようなトイレットペーパーの買い占め問題もなく、人々は落ち着いた対応を見せました。2回もオイルショックを経験すると流石に政府中枢の重鎮たちも「こりゃさすがにダメだろう、もっと安定したエネルギー源を必要とするねぇ」と語り、日本のエネルギー政策は3本柱安全供給、経済性、環境性」をもとに設計されるようになるのです。

 エネルギー政策の転換については、当時も有名な原子力発電や水力発電、風力発電や太陽光発電が列挙されました。欧州の北海にある北海油田なども活用することでなんとか石油に依拠しないエネルギー体制を構築しようと日本国政府は現在に至るまで東奔西走し続けているのです。そういう意味では、外生的な社会の混乱によって日本のエネルギー対策の脆弱性を再認識し、もっと安定的な供給源を模索しようと思える、素晴らしい奇貨になったとも言えるでしょう。

 

Ⅳ ミニオイルショック 〜ミニだけど、一国ごとの打撃は大きいよ!〜

 おまけとして説明すると、1990年にイラクがクウェートという場所に侵攻を開始したことによって、クェート発の原油公示価格が一時期は急騰しました。しかし、湾岸戦争が一旦終結の様相を呈した時、そのミニオイルショックとも呼べる第3次オイルショックは終了しました。さらに、日本は先述したように、1990年代頃には異なるエネルギー供給源を求めて伏線的なエネルギー政策を採用していたので、あいにく大きな打撃を被ることはありませんでした。

【シンキングタイム】

 オイルショック、理解できたでしょうか。まさか3回もあったなんて! そうです。その感情は非常に大切です。では最後に、記事を一読した後、ただ一読するだけで終わらず、立ち止まって考える時間を設けてみましょう。例えば下記に探究に役立つ質問の例をあげてみます。

(1)トイレットペーパー以外にも石油による打撃はたくさんあったはずだが、なぜトイレットペーパーが多分に無くなったのか?(“生活必需品“をキーに考えてみよう)

(2) 日本以外の、例えばアメリカ合衆国の経済状況はオイルショックによってどのような影響を被ったのか?(“ニクソンショック“などと絡めて考えよう)

(3) エネルギー源という言葉には、石油のような化石燃料を執拗に重視する供給戦略と、再利用可能な再生可能エネギーを使用する活用方法があります。あなたはどっちが良いと思いますか?それはなぜですか?(資源活用によって生じるゴミ処理問題や、地球環境への優しさを観点に考えてみよう)

(4)日本はこのまま(戦争以後は宗主国とも言える)アメリカ合衆国に依存する属国の従属的な政治経済を永続して良いのか。日本の個別的な事情に関係なく、アメリカの政治経済事情が直撃するのは、政治的な市民に対する不安感や焦燥感を招かないか。(戦後占領改革の歴史や憲法草案問題をもとに考えよう)

(5) 第4次中東戦争とは言うけれど、他にも第1次〜第3次中東戦争もあったはず。そこでは経済的打撃はなかったのか?なぜなかったのか?第1次〜第3次と第4次を隔てる明白な論拠はあるのか?(戦争参加国の関係と、エネルギー供給源の依存先を考慮しよう)

 

【補足】

 当時の日本は「とりあえずエネルギー節約せなやばいですねん」という状況に陥っていたので、パニック状態でした。なので洗剤の不足現象は「洗剤パニック」と呼ばれたり、電源供給を節約するためにTVや公共放送等の放映回数、視聴率も減少しました。

 実際のところ、第1次オイルショックとトイレットペーパーは因果関係として「オイルショックがあったからペーパー供給率が減少する」とは言えない関係なので、ある街で主婦が身勝手にタラレバを拡散したことがトイレットペーパー不足の原因だと言われています。2021年2月現在の新型コロナウイルス感染症の災禍では、昨年度のマスクパニックが取り上げられ話題になっていますが、こちらはある程度双方の関連性が深いファクター(要因、要素、因子)だと言えそうですね。

 

参考文献:『オイルショック/Wikipedia(随時更新)』
     『オイルショックで世の中どうなった?その原因と経済への影響を振り返る/わらしべ瓦版(2020.07.03)』

筆者:Masaharu Sumida @miyabi_media

スポンサーリンク
Advertisements
スポンサーリンク