ゴミ処理問題のヒミツ 環境問題③

 今回はゴミ処理問題を徹底解剖していきます。

 「ゴミ処理問題のヒミツ」という表題ですが、あなたはなぜゴミの処理が問題になるか知っていますか。その理由は、現代の大量生産・大量消費社会と密接に関係しているのです。

 結論から言うと、現代社会の中で、工場制機械工業という枠組みを用い、大量の製造品を開発・生産している私たち自身が、今回触れるゴミ問題の根源的要因を生み出しているという現状があるのです。

 では、「ゴミ処理問題のヒミツ」について考えていきましょう。最後には「まとめ」があるので、ぜひご覧ください。

「中古品」に関する日本と海外の違い

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 日本では「中古品は品質が劣るのであまり購入したくない」という発言がよく見受けられます。しかし、例えば米国(アメリカ)では、中古品はむしろ「しっかり機能さえすれば、立派なモノだ」と捕らえられているのです。

 現代の大量生産・大量消費社会において、アメリカ人が考える中古品は「古い車を解体する店が儲かり、購買者も安価に高品質な商品を手に入れられるので一石二鳥の関係である」と定義できます。しかし、翻って日本では、100年以上も利用されている建造物やモノは極めて少数です。確かに、歴史的建築物(〜寺や〜遺産)は長期間保存され続けて、今でも国宝として重宝されているものがあります。しかし、日本で100年以上も残存している(使用されている)家は殆ど見受けられません。

 例えば、古くからある帝国ホテルはF.L.ライトという人物が建築家が設計した有名な建造物でしたが、当時の日本人にとって利便性に欠けていた為、すんなりと撤回されてしまったという話があります。つまり、日本人は「古いモノ」を好まない体質にあると言えるのです。それこのように言い換えられます。新しいモノ、あるいは質の優れたモノを追求するがあまり、大量生産・消費社会の波と相まって、多量のゴミを排出せざるを得ない生活スタイルを日本人が送っているということです。

 日本では家庭用生ゴミやプラスティックゴミを廃棄するのは、自宅近郊あるいはマンション近郊の専用ゴミ捨て場に放置しておけば、ゴミ収集者が回収に回るので容易に破棄することが可能です。しかし、日本で特に問題になっているのは、先ほど述べた様な建築廃材です。建築廃材は量が嵩張(かさば)り、住民が捨て場所を明確に把握出来ないので、人々はその処理に大変困っているのです。

 加えて、大量の建築廃材を処理するのに必要なコストは、住民ばかりか建築会社でも負担し切れないほど高額なので、双方(住民・建築会社)にとって殆どメリットが残されていないのです。そして、それが原因で「ゴミが処理し切れないので奥山に捨てちゃいました」という企業や住民が多数発生してしまっているのです。

虚偽を作ってゴミを捨てる会社 〜豊島事件とは〜

豊島事件

from:http://www.teshima-school.jp/struggle/history/

 日本の産業廃棄物の処理に関わる問題は根深いですが、ここで簡単な具体例を紹介しておきましょう。写真の「有害産業廃棄物処分場計画」は少し難解なので、それも噛み砕いて説明します。

 かつて、瀬戸内海にある香川県の豊島という島で、ある業者が「ミミズの養殖を行う」という理由で、とある土地を購入しました。しかし、その業者はその後、その土地に、自分たちが生んだ産業廃棄物を密かに運び込んだのです。それにより、周囲には悪臭が広がり、地下水を汚染させるなど、周辺地域や住民にかなりの被害を生み出してしまったのです。

 その当時は、豊島の行政部門も一切、その「勝手なゴミ処理」に口を挟まなかったらしく、遂には黙認してしまい、業者によって更なる産業廃棄物の破棄が行われてしまいました。そこに、日本人の「ゴミをしっかり処理しよう」という真剣な眼差し、国民的意識はありませんでした。

 このような聞くに耐えない厳しい現状が日本で実際に起きたのです。瀬戸内海の小さな島ですが、そこには数多くの住民が住んでいて、一歩間違えば、その産業廃棄物から細菌が増殖して、命を落とす人が出たかもしれません。一業者の軽率な判断でそのような事態が起こるなど絶対にあってはいけません。ゴミは人の命に関わる遠因的な要素なのです。実際この事件では、児童が喘息(ぜんそく)を患うなどの健康被害が発生しています。

 この事件は一般に「豊島事件」と呼ばれています。豊島は、名前の通り「豊かな島」として住民に愛された島でした。豊島住民の団結力は強く、この事件が起きた当時も、仲間を集めてデモを図ったり、精力的な活動をされていたそうです。そして、多くの時間を要しましたが、その抗議が功を奏して、結果的には2000年6月6日、公害調停で知事が謝罪し、原状復帰の合意が成立しました。実に37回にも及ぶ調停を25年間も繰り返し、やっとの思いで結ばれた原状回復の合意でした。

 今でも完全回復には至っておりませんが、その現状こそが、当時の香川県豊島の人々が受けた被害の大きさを物語っているのではないでしょうか。

 ゴミは捨てる側だけの問題ではありません。そのゴミを捨てられた地域に住む人々の健康を脅かしてしまうのです。

Not in My Backyard 〜私の裏庭じゃなければ問題ない〜

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 この「Not in My Backyard」は、ゴミ処理を軽視する人々のことを表した言葉で「私の裏庭じゃなければ問題ない」と言う意識のことを指します。
 近年重要視されているSDGs17の目標を含め、地球全体を安全に維持していく為には、必ずや市民全体での共通認識・理解が必要になってきます。個人主義・私生活中心主義(Meism)が台頭するのは、確かに近代的でリベラルな社会の設計基盤として有用です。しかし、個人主義や私生活中心主義はあくまでも「他人に迷惑をかけない範囲で」という前提を忘れてはなりません。

 そして何より、目に見えないもの(目に見えないところでの利害関係)を想像する力を育んでいくべきではないでしょうか。SNSが台頭する時代には、自分が検索して見たいものだけを閲覧することも可能です。利便的ですし効率的です。しかし、自分の見たくない事柄を見る習慣があってこそ、日本や先進国に代表される成熟社会が謳う「多様性の尊重」ができるのではないでしょうか。日頃あまり接することのないゴミ問題やその他の社会問題にも、積極的に関わっていきましょう。

 そして、最後に、日本が抱える現時点でのジレンマをお伝えしておきます。
 それは以下のようなものです。
 昨今の日本では、デフレが続いており、多彩な経済政策が功を奏しているとは言いつつも、実質的な労働者の賃金や現場の給与価格は向上していません。そんな中、ゴミの排出量は経済活動の量に比例するので、確かに減少はしています。しかしながら、ゴミを減らすことが国全体の第1目標になってしまっては、経済活動の総量も減少し、GDP(国民総生産)と呼ばれる値が先進国中で最も低い日本国としては、世界と戦っていけません。
 そうなのです。日本は、今挙げた上述のようなジレンマを抱えているのです。しかし対策としては、その中間である「ゴミを丁寧かつ確実に処理しながら、活発な経済活動を推進する」ことがKFS(Keys for Success)になると思います。つまり、偏狭して一辺倒にならず、両方を並行しようということです。その意識を国民全体で共有することで、今から行う一つひとつの行動が変容していくのではないでしょうか。

包括的まとめ

・日本はアメリカとは違い、古いものをすぐ捨てる → 帝国ホテルの問題へ発展
・業者や行政のゴミ管理がおざなりに → 豊島事件の発生(住民に多大な被害)
・Not in My Backyardの精神 → 他者と共存しにくい環境に(他者尊重の損失)

 「ゴミを捨てることで誰かが傷つくかもしれない」、そんな意識を常に持ちながら「どうすれば平和にゴミを処理できるのか」を考えて見てはいかがでしょうか。私からの提案としては、経済的余裕さえあればゴミはしっかりと分別し、あるべきところに捨てることが可能だと思いますので、日本経済を活性化させて、国民が全体的な経済力を向上させることが好ましいと考えています。
皆さんもぜひ、今日の通勤・通学で、友人とこの「ゴミ問題」を議論してみてはいかがでしょうか。

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miyabi_kyosaka
教育実践キュレーター。慶應義塾大学在学中。NPO法人日本教育再興連盟ROJE所属。読売新聞学生記者。日本若者協議会所属。某 AO入試専門塾講師。N高等学校出身。|「未来は予測するのものではなく、この手で創る」をモットーに圧倒的行動で教育を一新しようと、教育ジャーナリズムの活動をしております。