ジェレミ・ベンサム 功利主義の極限をいく男

 この記事では、ジェレミ・ベンサム/Jeremy Benthamという功利主義の創始者は、一体どのような思想を持ち、どのような生涯を送ったのかを徹底的に解剖していきます。

 偉大な哲学者でもあり法律家でもあった彼が、私たちの社会に残した遺産とは一体何なのか。平等と幸福を追い求めた先には何が待っていたのか。驚くほどに功利主義を極め、幸福を極限の域まで追究した男の華麗な人生をとくとご覧あれ。

 彼の生き様を知った時、人はこれほどまでに情熱に燃え、これほどまでに1つの事を愛せるのだと私は感動しました。あなたもこの記事を読めば、ベンサムの思想とその情熱を懸けた人生に感動するに違いありません。では、いきましょう。

ジェレミ・ベンサムとは

ジェレミ・ベンサム

from:ja.wikipedia.org

 彼の名は、ジェレミ・ベンサム / Jeremy Bentham(1748~1832)。
キャリア:哲学者・法学者・経済学者
著書:『道徳及び立法の諸原理序説』『クレストメイア』『統治論断片』など

 イギリスのロンドンで非常に裕福な家庭に生まれ、幼い頃から父親の書斎で何巻もの英国史を読み漁り、当時の人々には神童と呼ばれていました。15歳の頃には既にあの有名なオックスフォード大学で文学の学士号を取得しており、3年後には文学修士号を取得。1796年、21歳だった頃、弁護士資格を取得(それにしても早すぎるが)。富裕だったベンサムの父は、ベンサムを法曹にしてその後継ぎを任せようとしたと言われています。

 しかし、当時存在していたイギリス独自の法律は、法律家のベンサムからしてみれば、非常にいい加減で曖昧な要素が多く、彼は一法律家としてそのようなイギリスのおざなりな法律に不満を感じていました。
(確かに、私たちの生活を振り返っても、完璧な法律はどこにも存在しません。日本でも現在、憲法9条・25条論争が絶えず、日本以外の国々でも同様の「憲法典論争」的な、法律に関する議論が行われています。)

 ベンサムが嫌悪感を抱いたのは、その時々の風習や人々の主観によって法の解釈が変わってしまうようなイギリス法曹界の現状でした。そこで彼は問いかけます。

 法とはどんなときに正しいと言えるのか?

 当時の市民や一般人からすれば「法律=正しい規範」という認識がありますが、ベンサムはそこに着眼点を移し「永続的で完璧な法律とは何か」を追究し始めました。法律家である、いや、法律家であるが故に、常日頃誰しもが守るべき法律はどのように創造できるのだろうかと彼は1人で自問自答し続けました。

1冊の本が彼の人生を変える

 そんなある日、彼は本の貸し出しを行う小さな喫茶店で1冊の本を借りました。その書籍には、のちに彼が大成する功利主義において根本を成す重要な文言が書かれていたのです。

 「いかなる国家であれ、その構成員の多数者の利益と幸福が、国家に関わる全ての事柄が決定される際の基準となるべきである

 この短文で彼の人生が変わりました。この文章を読んだ時の彼は驚きすぎて思わず「エウレカ!(我、発見せり!)」と高々に叫んだそうです笑
これにより、ベンサムの功利主義を追究する姿勢が確立されます。功利主義については、先日執筆した下載の記事に詳述していますが、簡単にまとめてみます。

※上の記事をサクッと拝読した方がベンサムの思考についての理解が容易になります。
{功利主義とは}
・功利主義とは、徹底的に人類の幸せの総量を増やそうとする考え方のこと。
{功利主義のメリット}
平等性が担保され、幸福の総量が上がり、物事の優先順位がつけやすい。
{功利主義のデメリット}
幸福度に数値的客観性がない、量的・質的であれ人によって幸福観が異なる、父権主義的に陥りがち。

 上述した様に、功利主義とは一言で言えば「人類の幸福の総量を上げることが最も重要である」という考え方です。なぜベンサムが功利主義をこのように定義付けるかというと、それは先ほどあった「いかなる国家であれ、その構成員の多数者の利益と幸福が、国家に関わる全ての事柄が決定される際の基準となるべきである」という1冊の本の文言に則っているからです。※以下では分かり易い様に有名な言葉「最大多数の最大幸福」と言い換えます。

最大多数の最大幸福

 この「最大多数の最大幸福」という言葉は、ベンサムが取り扱っていた「法律」に完璧に当てはまります。なぜなら、例えば、ある人物が罪を犯し、その人物が犯罪者として逮捕されて牢屋に放り込まれたとします。その時、普通なら「あいつは悪事を働いたのだから牢屋に拘留されて当然だろう」と思でしょう。しかしベンサムは違います。最大多数の最大幸福を追究するベンサムの視点からすれば、彼が牢屋に放り込まれる理由は「彼が逮捕されずに暴れ回った時に近隣市民が受けるであろう不利益(不幸)よりも、彼が逮捕されることで生まれる不幸の総量の方が少ないから」なのです。確かに!と思いませんか?

 法律の根拠や正しさを求め続けたベンサムにとって、このように「犯罪者を逮捕する事で市民の幸福が上がる」という考え方は非常に理に叶っていたのです。
 しかし、先日の記事でも述べましたが「いやいや、もし最大多数の最大幸福だけを求めるのであれば、弱者の方が少しの行いだけで幸福度が高まるのだから、弱者ばかりが助かる社会になるじゃないか」と思いませんか?
それもまた、ベンサムからすれば甘いんです。彼はこう言います。

誰であろうが1人以上には数えない

 誰であろうが1人以上には数えない。

 先ほどから、功利主義は平等を求める社会だと言いました。その真髄がこの言葉に隠されているのです。

 要は、王様や貴族、はたまた召使や奴隷であろうと、誰しも1人以上には数えない。王様だから、貴族だからと言って、その幸福の量は奴隷と同等量として扱われるのです。彼が云うに、王様だとしても「王様の命は50人の奴隷を殺すより不幸度が高く崇高である」とは定義してはいけません。奴隷1人がAという出来事で感じた幸福は、王様1人がAという出来事で感じる幸福と同等に計算するべきなのです。
 同時にこの事実は、ベンサムが当時の時代では憎まれる存在だった事も意味します。ベンサムが生きた18世紀は、奴隷貿易が横行した圧倒的階級社会だからです。でもだからこそ裏を返せば、ベンサムは当時では想像できないほど平等を求め続けた偉人だと言うことができるでしょう。

ベンサム的思想の詳細

 彼の主張は「快楽や幸福をもたらす行為が善である」というものです。彼の主張は、功利主義の分類で言うと量的快楽主義に当てはまります。それはつまり、快楽・苦痛を量的に勘定できるものであるとする考え方です。これに対し、彼の弟子J.S.ミルは快楽並びに苦痛には単純な量には還元できない質的差異があると主張し質的快楽主義を唱えました。しかし最終的にはベンサムの考案した快楽計算という功利主義の基本的な立場はミルも放棄しなかったと伝えられています。

 彼の代表的な功績として、同性愛者の徹底的尊重があります。なぜなら、同性愛は個人間で行われる愛情の営みであり、誰一人として被害を受ける人が存在しないので、功利主義的には完璧な行為だからです。

 他にも、ベンサムは量的快楽主義を追究したが故に、周囲の人々に「拷問される個人の不幸よりも、その拷問によって生み出される他の人々の幸福の総計の方が大きい場合、道徳的ということになるのではないか」という批判を受けていますが、彼自身は多数者利益の為に少数者を犠牲にする事を決して支持していません。後に紹介する彼の行った「快楽計算の7単位」は以下のように記されています。
[快楽計算の7単位] ①強度 : その快楽はどの程度強いか
②持続性 : その快楽はどの程度持続するか
③確実性 : その快楽が生まれる事はどの程度確実か
④近接度 : その快楽はどの程度早いか
⑤多産性 : その快楽から派生した新たな快楽はどの程度か
⑥純粋性 : その快楽に伴う苦痛はどの程度少ないか
⑦範囲 : その快楽はどの程度の人数に届くか

 快楽を感じる殆ど全ての瞬間を定義できていると言っても過言ではありませんし、その当時の学問の発程度合いを考慮すれば素晴らしい分析です。
 更に、彼にはあくまでも正義心がある人間で、弟子のミルが反論した様に確かに研究活動の後半では質的快楽主義の概念にも気を配っていたそうです。

 以上がベンサムの基本思想の詳細です。次からは、ベンサムの痛快さを皆さんに感じてもらいましょう。

歴史に名を残す哲学者は、極端を極めた人間だけである

 功利主義を考える際に留意しておくべき重要な観点があります。それは、ベンサムはそもそも一番最初に功利主義を唱え始めた人物ではないということです。しかし、なぜ「功利主義の創始者といえばベンサムでしょ」という状態にまで世の中に浸透しているのかというと、彼が「狂気なほどに功利主義を極めたから」なんです。

 偉大な哲学者、私の好きなところで言うとヒュームやヘーゲルなど、偉大な人々は常に「極み」を目指し、猛烈な勢いでその概念と思想を追究しました。そしてそうしない限り、歴史に名が刻まれることはなかったでしょう。ソクラテス、プラトン、ニーチェ、偉人達は皆が極限を行くのです。

ベンサムの変人ぶり

 彼は生涯に渡って、日常生活が基本的に部屋の中で完結していました。いわば、引きこもりです。アイデアが思いつく度に部屋のカーテンに付箋的なものを貼り付け、1人でニヤニヤしていたそうです。最大多数の最大幸福を実現しよう!という革新的人物とは到底思えない様相ですね。

快楽の計算も極めた

 先ほど掲載した記事にも書かれていますが、そもそも功利主義の前提である「快楽」を客観的で且つ普遍的な方法で計算する事は不可能です。しかし、ベンサムはその生涯を捧げて、快楽を客観的に計算する方法を探究しました。なぜなら、その方法を発明しなければ、功利主義の一番肝要な土台部分が崩れてしまうからです。

 彼はまず以下のように定義します。
幸福とは快楽であり、幸福=快楽の増加、不幸=快楽の減少である。

 更に進んで
快楽とは逆に言えば苦痛であり、幸福=苦痛の減少、不幸=苦痛の増加である

 ベンサムは上記のように「幸福の定義」を確定しました。彼は自著の中で「人間を支配するものが2つある。それは快楽と苦痛である。私達の言動を決定付けているのは、実はこのたった2つの要素だけである」と語っています。

 その後も、彼の「どうすれば快楽を客観的に測定できるのか」という旅は続き、快楽を14種類に分類したり、快楽計算を行う為に快楽に含まれる(先ほど述べた)7つの構成要素を分析してみたり、果てには「快楽測定器」という発明品の開発も考えていたそうです。ここでも、偉人の極端さが垣間見えます。

 しかし『功利主義とは何か 全体の幸福度を上げる』や先程の説明でも述べた通り、ベンサム式功利主義はあくまで「肉体的な快楽度」を測定するものであり、例えば「副作用がないなら麻薬もやっていいじゃん、後、誰も気付いていないのだから盗撮してもいいじゃん、だって誰も不幸にならず、自分の幸福度を上げられるのだから」となりかねない危険性があります。ただし、今回はベンサム式功利主義の善悪ではなく、ベンサムの思想と生涯を説明する回なので深掘りはしません。

 最後に「異端を極めたベンサムのエピソード」を紹介します。

ベンサムはまだ生きている?

ベンサム

from:karapaia.com

 ベンサムは生涯、医学の発展に寄与したいと強く願っていました。そして、死後解剖の奨励活動を実施していました。当時の人にとっては人の死体を解剖する事はキリスト教の文化圏的に絶対に有り得ない行いだったのですが、彼は積極的に奨励しました。彼は当時の市民とは全く異なる視点で、死後解剖を推奨したのです。

 その理由はやはり、功利主義を貫いた男だったから。

 考えてみてください。彼の提唱した功利主義の真相を。
 人間は死体と化す事で快楽、すなわち幸福を感じる事が不可能になります。ならば功利主義的に言えば、そこに快楽計算も幸福度の概念も関係がない訳です。無論、検死解剖よって周囲の親族が苦しむ事はあります。しかし仮に、人が死後解剖されたとしても、それによって医学の世界が前進し、今病気で苦しんでいる人や医療不足で苦しんでいる人々を助ける事ができれば、人類全体の幸福度は上昇するであろうと彼は結論付けたのです。まさに、功利主義の正義です。

 そして、彼は自分でも「死後に、私の体を学生の解剖実験に利用してください」と言っています。自分の死体を自ら大学に提供し、公開で解剖する事を許可したのです。彼は晩年、人の死体を洗い流してミイラ化する実験に取り付かれてもいました。

 今ではロンドン大学に彼のミイラが保存されており、普通に一般人でも誰でも見る事が可能なのだそうです。私は「ベンサムのミイラ」とGoogleで検索して画像越しにみましたが、本当にミイラの様子で驚きました。顔の形は結構きれいに保たれています。※グロテスク画像が苦手な方は絶対に見ないように。

 大学の重要事項を議論する場面では、その会議にミイラのベンサムがいつも呼ばれているのだそうです。今では人工的に加工され補強されたミイラになっていますが、昔は普通に生のミイラが教室に置いてあったそうです。

まとめ

・ベンサムはイギリスで生まれた超優秀な人間だった。
・法律に疑問を持ち、1冊の本に出会ってから、彼の功利主義研究が始まった。
・一度は「快楽測定器」なる機械の開発にまで着手しようとした。
・誰よりも功利主義を極め、人生を捧げた。
・今ではその功績を称え、ミイラとして保存されている。

 どうでしたか? 私はこのベンサムの生涯を概観して「カッコイイな」と思いました。狂った程に何かを追い求め、人生をかけて挑戦する姿。ベンサムの主張やそのやり方が必ずしも正当であるとは言い切れません。しかし、物事に真摯に向き合い、公式の場だけでなく、パブリックとプライベートを切り離さず、日常の場面でさえ自分の思想を貫いた姿には感服させられました。

 この記事で「ベンサムの思想とその生涯」がしっかりと理解できたと思います。今後も、大好きな哲学者を多数紹介していきますので、ぜひお楽しみに。

 アカデミズムを極めよう。

参考文献:『正義の教室』飲茶著、Wikipedia、karapaka.com

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miyabi_kyosaka
教育実践キュレーター。慶應義塾大学在学中。NPO法人日本教育再興連盟ROJE所属。読売新聞学生記者。日本若者協議会所属。某 AO入試専門塾講師。N高等学校出身。|「未来は予測するのものではなく、この手で創る」をモットーに圧倒的行動で教育を一新しようと、教育ジャーナリズムの活動をしております。