ジョン・スチュアート・ミル ~質の功利主義者~

 あなたはジョン・スチュアート・ミル/John Stuart Millをご存知ですか。
 言わずと知れた英才教育を受けてた彼は、哲学者ジェレミ・ベンサムの量的快楽主義と呼称される功利主義の一派を修正し、質的な功利主義を追究した人物です。今回の記事では、彼ミルの生涯とその哲学的主張・政治的主張・経済的主張について学びます。

 ミルは哲学者ベンサムの系統を引いているので、先にベンサムの主張を知っておくと、ミルが言わんとする事が一層具体的に理解できると思います。以下の記事ではそのベンサムについて紹介しているので是非ご覧ください。

 今回の記事は最初にミルの生涯を学び、その後にミルの思想を分析する形となります。それではミルの圧倒的天才感を漂わせる生涯と、その思想を深掘りしていきましょう。紆余曲折のある彼の人生から、皆さんがその革新性や深い思想を学び取って頂ければ幸いです。
 ※ここからは文章量を最小限に留める為「だ・である調」に文体を変換します。

ジョン・スチュアート・ミルとは

ジョンスチュアートミル

from:ja.wikipedia.org

 彼はジョン・スチュアート・ミル/John Stuart Mill(1806-1873)だ。
哲学者・政治哲学者・経済思想家としてその名を轟かせた人物である。
著書:『自由論(後に日本で中村正直氏が『自由之理』に翻訳)』『功利主義論』『女性の解放』等々
ベンサムと同様に出生地はイギリスで、死没時の居住地はフランスである。学問分野における存在意義として、倫理学においてはベンサム的功利主義の擁護者であり、論理学では分析哲学を探究した。リタリアニズム(完全自由主義者)であり、晩年は自身を社会主義者と名付けていた。

 知らない方の為に、功利主義の定義については以下の記事で概観的に説明している。

 ざっと彼の行った学問分野を紹介したところで、彼の「天才か!」と言わんばかりの生涯をみてみよう。

ミルの天才的な人生

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〜幼年期のミル〜
 ミルは英国のロンドンにおいて父ジェームズ・ミルの長男として誕生する。父のジェームズ・ミルも哲学者・経済学者であり、当時隆盛した東インド会社の社員でもあった。父は非常に厳格な性格として有名で、ミルは幼い頃から父から「四十八苦勉強に打ち込め」という教育を享受していた。その影響で、ミルは幼少期に同年代の子供達と遊んだ経験が皆無なのである(これに関してはシンプルに可哀想だ)。
 父の思想は明確にベンサム的功利主義に依拠しており、ミルも「ベンサム的功利主義の継承者として活躍してくれ」という期待と共に育成されたそうだ。

 ミルの父の教育方法が異常に厳しかった。父はミルに徹底した知的活動を求め、ミルはわずか3歳の頃にギリシャ語のアルファベット一覧と単語を母国語の英語と共に叩き込まれ、8歳に達する前にはアイソポス寓話、クセノポンの『アナバシス』、ヘロドトスの著作を完読し、ルキアノスやディオゲネス・ラエルティオス、イソクラテス、プラトンの著作を読破した。そして彼は、英語版の歴史書も大量に読んだそうだ。今述べた、彼が8歳までに読破したとされる作品の中に皆さんが知っている作品は無いと言えるだろう笑。それくらい彼は徹底的に知的吸収・生産方法を父に叩き込まれたのである。私がミルなら、即座に家を飛び出し、小便を垂らして友人の家に飛び込んだだろう笑

 ミルが8歳から13歳にかけての成長記録はスコットランドの哲学者ベインにより上梓された著作で描写されている。
 ベインは、一般に普及しているミル自身の自伝に描かれた学習量について、彼が行っていた現実の学習量とは程遠く、ミルはより一層学んでいたと主張する。先程述べた8歳の時点からミルはラテン語・代数・ユークリッド幾何学(訳が分からない学問名なので読者の方は読み飛ばして欲しい)の学習を開始し、あの厳格な父に「お前は兄弟の先生をやれ」を助言され、家庭内で教師役を担う事となる。加えて、先程述べた英語の歴史書に限らず、ラテン語・ギリシア語の著作を読んだそうだ。10歳になるとプラトンやデモステネスを容易に読解するようになり、12歳の頃には哲学者の父親による著作『インドの歴史』が刊行され、その直後から彼はスコラ論理学の基礎を学び始め、同時に論理学や古典経済学に関する文献も学習し始めたそうだ。

 取り敢えず今述べた時点で、あなたは「何語を話しているのか、彼の人生は意味不明すぎる」と思ったでしょう。私が思う。知的に努力を積み重ねた天才は使用する言語も高度化していき、学問名さえ高度化してしまうのであろう。

 しかし、どれ程の天才であれ、順風満帆な人生を歩む事は容易ではなかった。

21歳で精神の危機に陥る

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 ミルは21歳になった当時、本人曰く「精神の危機」に陥ったと云う。それは知的な興味・関心の減退や鬱(うつ)病的症状の発症であった。しかし彼は、当時興隆したロマン主義の楽観的思想や、当時出会った人妻ハリエット・テイラという女性の助けもあり、何とかその病と知的意欲の衰退を防いだという。周辺情報としては、当時の王朝ヴィクトリア朝では人妻と縁を交わす行為自体が否定的に認識されており、ミル自身は周囲から「人妻と関係性を有する事」について批判を受けたとされてる。

 そしてミルは再び立ち上がる。英才教育を受けた圧倒的天才性とその知的欲求と共に。

東インド会社奉職と女性参政権の主張

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 ミルは精神的病症からの復活後、かの有名なケンブリッジ大学やオックスフォード大学に研究依頼をされた事があったというが、結局全てを断る形になる。故に、彼が生涯一度も「学者」を専門職・生業として生活を営んだ事がないのである。意外な事実だが、2020年現在の経営学研究では、副業で起業した人のほうが成功し易いという指摘が為されており、一定的な生活基盤を保証する本業がある上で何か新しい物事に挑戦する人の方が、精神的安定性などを加味すると成功し易いと報告されていて、ミルも同様の生活様式を営んだと考察できる。

 話を戻すと、復活後のミルは父親と共に東インド会社に奉職した。そしてその後はイギリスの無所属下院議員として1965年~1968年まで政治を指揮する。彼は政治家として、その当時に植民地で発生したジャマイカ事件などに対し、有名な生物学者ダーウィンらと共に黒人を擁護する論陣を形成したり、イギリス下院において史上初の女性参政権論者に成っている。1860年代からミルは女性参政権、所謂普通選挙を主張しており、実際にイギリスで普通選挙(男女平等)が導入されたのが1928年である事実を振り返ると、ミルが当時では極めて先進的且つ発展的な論調を展開していた事が窺える。

 政治家引退後は、セント・アンドルーズ大学の学長に任命され任期を全うしたが、老後はフランスのアヴィニョンにて、丹毒という感染症を罹患して亡くなっている。

 華麗なる英才教育によって誕生した1人の天才哲学者。彼の思いは常に先進的で人々を驚かせ、当時の世界では珍事と捉えられた女性参政権の主張や黒人援護を行い、人類を少しでも前進させようとした姿勢には感銘を受ける。以前紹介したベンサムも同様、今に繋がる歴史的偉人は常に、周囲の人より何かに執着し、何かを追い求めた人間なのである。

ミルの思想 質的快楽主義(功利主義の一派)

ミル

 ここからはミルの思想を紹介する。前提として、ミルは初期にベンサムの功利主義を信奉し、親しい友人と功利主義協会を設立するなど、ベンサムの思想に同調しており、生涯を通じて彼の思想は基本的に功利主義的思想が支えている。

~ミルの哲学~

 ミルの哲学思想の根源を象徴する1つの文がある。
 満足した豚よりも不満足な人間がよく、満足した愚者よりも不満足なソクラテスの方がよい
 ベンサムは過程(幸福を得る手段)に対して快楽基準を要求せず、結果的快楽を追究したのに対し、ミルは過程的快楽基準(どのように快楽を得るかというプロセス)を人々ないしは功利主義論者に訴求した。つまり簡単な例で解釈すれば、ベンサムは「女風呂を盗撮しても女の人に気付かれなければ、自分の幸福度だけが上昇するので素晴らしいではないか」と云うが、ミルは「女風呂を盗撮して自身の快楽を得る事は愚行であり、そうではなく、人間はもっと上品で高貴な行動を為すべきである」と云う。

 どのような手法で快楽を得るかという事案はベンサムにとって無意味な評価基準であったが、ミルはあくまでも性善説を唱え、人間は高尚な物事を知れば、決して愚的行動に走る事はないと信じていたのである。そしてそう努めるべきだと。
 纏めると、ベンサムが快楽の「量」を追究したのに対し、ミルは快楽の「質」を重視したのである。

ベンサム:量的快楽主義
ミル:質的快楽主義

 ミルも、父親からベンサムの哲学思想を習得した時は惚れ込んでベンサムに同調したというが、結果的にある分岐点で思い立ち「いや、量だけを求めて質を疎かにするのは人間的ではない。より一層と精神的満足度を訴求すべきである」と考えたのだ。例え他人に危害が加わらなくとも、下品な快楽より上品な快楽を追究してこそ功利主義の真髄であると彼は結論付けた。

 教養や深淵な学識を手にした人が「昔の知識のない状態に戻りたいですか?」と問われれば、そう簡単に「はい」とは言わないし、毎日挨拶をする元気な人が「挨拶をやめてムッとした顔で毎日生きてください」と言われても簡単には許諾できないだろう。つまり、ミルに言わせれば、人は上品で高俗な物事を一度知れば、以前の状態には戻りたくないと思う生物なのである。ミルは普段から高度な学識を兼ね備えていたが故に、そのような論理を持ち出してベンサム批判を行ったのである。

 そして同時にミルは、リバタリアニズム(完全自由主義)的な思想も並行して尊重していた。ミルの自由主義的な思想を代表する言葉がある。
 「己の欲する事を他者に施し、己の如く隣人を愛せ。
 これはキリストの黄金律・隣人愛的な考え方であり、ミルが放つこの言葉に彼の自由主義思想が隠されている。言い換えれば、自分が他人にして欲しくない事は自分もせず、他人を徹底的に愛しなさいということ。これにより、なぜミルが「人に気付かれないからと言って人の風呂場を盗撮するな」的な思想であるかが理解できるだろう。あなたは自分が気づかない場所で盗撮されたいですか?それを許せますか?と。正にそのような愚行はミルにとって許容し難い行為であり、質的快楽主義を放棄した行動だと言えるのである。

 更にミルは政治家として、個人が尊重される社会が素晴らしいと唱えた。ベンサムの頃は最大多数の最大幸福の名の下に、選挙結果において多数派を尊重する事が重視されていたが、ミルは個人こそが社会の構成員であるという視点を忘れず、個人個人が例え少数派(マイノリティ)であっても、必ずや尊厳が死守される社会を構築すべきであると主張した。これも当時の階級社会では革新的主張であり、今に通ずる資本主義・民主主義の土台的要素を既にミルが提唱していた事実を示している。

 経済学の世界に関しては今記事の字数関係であまり触れられないが、簡略化すると、経済界でもミルは自由放任的社会主義思想を展開し、最終的には自分自身で「私は社会主義者である」と名乗るように変化したとも言われている。

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※ここから「です・ます調」へ
※文章が長くなりそうなので途中から「だ・である調」で書きました。

 以上がベンサムの天才とも言われる生涯とその思想です。どうでしたか?
ミルの天才的な幼少期とその革新的な思想が理解できたと思います。ミルは天才だと言われ続けていましたが、それでも21歳の頃に大きな挫折を経験しました。しかし、その挫折があったからこそ、その後の政治家人生で、差別撤廃や革新的改革に乗り出せたのではないでしょうか。ミルの師匠に挑む勇敢な姿勢や、当時の情勢に縛られず多数の改革を提案した姿勢は見習うべきです。

 今回の『ジョン・スチュアート・ミル ~質の功利主義者~』での学びを通して、あなたが少しでも哲学の世界や政治経済の世界に関心を持ってくだされば、これ以上の喜びはありません。では、またお会いしましょう!

[追記] 分かり易い漫画版でミルの書籍が発行されているので、ぜひ↓

参考文献:Wikipedia、『正義の教室/飲茶著』
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miyabi_kyosaka
教育実践キュレーター。慶應義塾大学在学中。NPO法人日本教育再興連盟ROJE所属。読売新聞学生記者。日本若者協議会所属。某 AO入試専門塾講師。N高等学校出身。|「未来は予測するのものではなく、この手で創る」をモットーに圧倒的行動で教育を一新しようと、教育ジャーナリズムの活動をしております。