ネット的情報空間の閉鎖性と体験することの価値 〜民主主義における、個々人の広域的体験の有用性〜

今回は民主主義という形態をベースに「体験し、考える」についてお話ししたいと思います。

「体験し、考える」と言われても、なんだろ?とピンと来ないと思います。

しかし、現代の多様化する社会において「体験し、考えること」は非常に大切なんです。

なぜなら、従来のテレビをみる人の割合が、国民の中で相対的に下がり、ネットによる情報収集手段が広く普及し始めており、国民意識としての統一された話題や議論の出現回数が減少しているからです。

つまり、昔は、フランスの哲学者アルチュセールが、国家の利用するテレビや新聞、ラジオ等を「イデオロギー国家装置」と名付けたように、「一家団欒で視聴するもの」が国民国家(Nation State)や国民全体での共通意識を確立する1つの装置となっていたわけです。

有名どころでいうと、紅白歌合戦や国民的アイドルなど、国民的〜というものが流行りました。

しかし、今を生きる皆さんは、毎日毎晩テレビを眺めていますか?
そうではありませんよね。
皆さんの日常を占める割合は圧倒的にスマホ<テレビに変容してきていると思います。

それが何を意味すると思いますか?
それは「皆さんの受け取る情報が、無意識のうちに閉鎖化していること」を意味します。

なぜかというと、ネット社会というのは一見「多様性が広がる!素晴らしい!」と思われますが、実質は必ずしもそうなっていません(特に日本では)。

確かに、今までにない「プロ奢られイヤー」や「eスポーツのプロ」、「レンタル何もしない人」などニッチな分野が勃興してきているのは事実です。

しかし、今回の「情報の閉鎖性」については、twitterやfacebook、その他のSNSと民主主義の関係性に焦点を当てたいと思います。

SNSが生み出す情報の閉鎖性とは?そして今回のテーマである「体験」にどう繋がるのか。

一緒に考えていきましょう。

Contents
1. ネット的情報空間の閉鎖性
2. 議論と主張
3. 体験し、考える
4.
外側を見る、聞く
5. 考えろ、埋もれるな

1.ネット的情報空間の閉鎖性
何気なくSNSを見つめる日々。
しかし、その中には1つ大きな危険が内在されているのです。

それは情報空間としての閉鎖性です。

良い例を挙げましょう。まずは、Amazonのリコメンド機能。

Amazonで商品を購入すると、「この商品を見た他の人は、このような商品も閲覧しています」や「おすすめリスト」が表示されますよね。

まず前提として、これは便利です。

例えば私の場合、社会科学系統の書籍を購入した場合、その書籍に関連した派生的書物も同時に閲覧できるので、一気に多くの本を購入したいときや、今以上に知識量を増量させたい際には非常に役立ちます。

さらに、毎回「〜さんの本」や「〜に関する本」と検索する手間が省略可能なので非常に有用です。
アプリケーションさえ起動すれば、そこには自分だけの図書館が広がっているんです。

しかし、当然ですがダウンサイド(欠点)も存在します。

それはつまり、私たちは、何気なくSNSを使用した日々を過ごしていると、見たいものしか見ない生活に埋没していくのです。

それってそんなに悪いこと?と感じる方々がおられるかもしれません。

では、もう1つ例を挙げましょう。

Twitterです。

Twitterで情報集取する時、あなたは誰をフォローしますか?

尊敬する人?興味のある人?自分と同じ意見を持った人?

フォローする相手の人種は多々あるとは思いますが、今言ったようなところが大道だと思います。

しかし、そこにこそ危険性が潜んでいます。

今回の議論は、一個人単位の危険性を議論したいわけではありません。集団空間として、いわば民主主義国家としての危険性を訴えたいのです。

では、なぜ見たいものだけをみるのが危険なのかを考えましょう。

2.議論と主張

民主主義とは、基本的に、各々の投票者であり有権者に「理性的判断能力」が備わっており、さらにその前に「深い教養」を有していることが前提とされています。

そして、日本は民主主義国家です。

そうした場合、自分の見たいものだけをみる人が果たして有権者として有益に機能するでしょうか

具体例を挙げれば分かりやすいですが、トランプ大統領の当選、英国(イギリス)のBrexit(ブレグジット)は良い例でしょう。

アメリカにおいて、ある種の国家主義的政策に猛進するトランプ大統領や有権者。
欧州圏内での円滑な交通、政治経済等の市場フローを効率化させるための国際観のつながり「EU(欧州連合)」を脱退したイギリス。

今後紹介することになる『遅いインターネット』宇野常寛著でも鮮明に書かれていますが、今世界は二極化しています。

「Somewhere」な人々、「どこか」に住むことで安心する人々。
「Anywhere」な人々、「どこでも」住める人々。

何かのアイデンティティ(時には国家、時には一集団)に縋りながら生きる人間と、自分のアイデンティティ で勝負する人間が二分化されているのです。

例えば、日本でいうと、ネットで芸能人の不倫を叩く人、全く自分の人生と関係ない人々にヤジを飛ばしてマウントを獲得する人が「Somewhere(どこか)」な人々です。あるいは、国民国家的な境界線、フロンティアを重宝し、区切りによって自己を保存します。

逆に、堀江貴文さんや西野亮廣さん、DaiGoさん、manablogのマナブさんなど、自分の力量で世界を渡り歩ける人が「Anywhere(どこでも)」な人達です。
国籍や地域に関係なく世界を渡り歩き、グローバル化の波に最前線で乗っている人々です。

つまり前者は、確固たる自己同一性を孕(はら)んだアイデンティティを有しておらず、後者は「会社や組織、マウンティングではなく、名前で生きている人々」なのです。

私の見解では、見たいものだけを見る人は前者(Somewhereな人々)に多いと思っています。

例えフェイクニュースであろうと、虚偽の偽りが内在される危険性がある記事であろうと、自分に都合の良いように解釈し、さらに言えばそれを拡散できる時代、前者はそこに生き場所を見いだします。

そしてそれがインターネットポピュリズム的な同調圧力、ポピュリストの誕生を促してしまうのです。

明らかに嘘であり、偽造物であると理解していても、その思想を反映させるためにネットを使う人は多々いるのです。悲しいかなそれが今のネットの現実です。

当時ネットが隆盛した頃には、人々は「ネットによって市民たちが議論しあう、progressiveでbeneficialな民主主義が確立される」と謳っていましたが、実際はそうはなりませんでした。

かつて、ラジオやオリンピックという公衆向けのコンテンツを利活用して名をあげたアドルフヒトラーも、いわば全体主義に「メディア」を活用しました。

出典:ja.wikipedia.org

そこに理性的判断能力が装備されていない市民が大量流入すると、一気にポピュリズムが形成され、数の力、多数派の力が猛威を奮い出すのです。

これは、古くから言われていますが、現在の民主主義が抱える大きな問題点の1つだと思います。歴史も含めた民主主義の全体像に関しては 『民主主義という不思議な仕組み』佐々木毅著 という本が役立つので、ぜひ拝読なさってください。※この書籍は、ペルシャ戦争間際の古代ギリシアに存在した直接民主制や、それ以降の民主主義の変遷を極めて分かりやすく解説した書籍ですので、民主主義の問題点を理解するにはうってつけの本です。

話を戻します。

民主主義という選挙制度により生まれた大統領やその他の出来事は、私たちの日常にも関連してくるのです。気づかないうちに自分が見たいものだけを見ていませんか?本当に日本の現状や国際政治関係、貿易等を考慮し、選挙における選抜者(政治家)を判断していますか?

私は最近こう思います。

今の国家政策に不満を抱いている人もいますが、結局は選んだのは正真正銘の「国民」であると。

賄賂や裏ルートによって投票数がガラガラポンすることなど、現代日本ではあり得ません。当然民主主義は多数決での決定が種なので、全員の意見が反映されることはありませんが。

しかし、今回のコロナショックでも明らかになった通り、対外的に見ても日本の施策による対応が遅延していることは自明でしょう。

だから今こそ、私たち国民が選挙に行って広域に醸成された視座を獲得し、日本の政治に関わっていくべきではないでしょうか。

そんな中、政治に関心があり、一歩踏み出してみたい!と考えている方は「中田敦彦のYouTube大学」さんが公表されている動画コンテンツは政治学習の導入型教材として非常に便利なので、お勧めしておきます。
【消費税 増税①】〜なぜ増え続ける?増税の裏に隠された歴史!〜 中田敦彦のYouTube大学
【消費税 増税②】〜増税は本当に必要なのか!?〜不都合な真実〜 中田敦彦のYouTube大学
【憲法改正①】〜問題の基礎知識を中田がわかりやすく解説!〜 中田敦彦のYouTube大学
【憲法改正②】〜第9条の本質に中田が切り込む!〜 中田敦彦のYouTube大学

では、どうすればその、多岐に渡る見識を獲得できるか。「体験し、考える」です。

3.体験し、考える

先月、私が、体験することの価値に気付かされた瞬間がありました。
何気ないことでしたが、意外と分かりやすいので紹介します。

私は、今は関東の方に移住していますが、つい先月まで関西の方に住んでいました。
そして先月、街を歩いていた時、あれ?これって私の家(マンション)だったけ?!と驚いた瞬間があります。

どういうことかというと、私は普段、そのマンションを「繁華街側(西側)」からしか見ていなかったので、そのマンションは、あくまで「栄えている繁華街の中の一建物」でした。厳密にいうと、そちら側にスーパーやコンビニ等の生活に必要な施設が建設されていたので、全てそちら(繁華街)側で生活が完結していたのです。

しかし、先月は、初めてランニングでその逆側「住宅街側(東側)」を走り、帰りにその住宅街側からマンションを見ると、そのマンションがすごく(言い方は悪いですが)ショボく見えてしまったんです。

たまたま私のマンションが繁華街(都会)と住宅街(田舎)の中間に位置していたからこそ体験できたことでしたが、これは全ての事柄に言えることです。

例えば、私はサッカーをしていますが、いつも思うのが「やっぱり、サッカーを実際にやったことない人には、どれだけその素晴らしさや感動、はたまた難しさや過酷さは理解してもらえないなぁ」ということです。

これは皆さんも既知のことではあるでしょうが、やはり、体験しないと、その対象物の「本質」や「実感」はわからないものです。

つまり、それをネット的情報空間に添加させて思考した場合、ネット的情報空間の閉鎖性によって生まれる空間に長々と居座ることで、多様性が重んじられる現代社会なのに、その多様性を「本質的に」理解しがたい体質になり得るということです。

少し難しい書き方をしてしまいましたが、要は、体験したことのないことについて本質的で有益な議論をすることは意外と難しいということです。

ネット空間で特にtwitterなどでは、善悪の判断はとりあえず置いといて、「今日の標的はあいつだ。今週の目玉はあいつだから、あいつの悪い情報を捏造してやろう」とすることが容易なので、それだけで優越感に浸ることができます。

しかし、少し考えれば誰でも分かりますが、社会的支障をきたすような不祥事ならまだしも、不倫や個人間でしか解決し得ないことに首を突っ込んで、なんとか苦し紛れに自分の飴玉を獲得する(自分の立ち位置を得る)のは、どう考えても不毛でしょう。

また、自分の夢に向かい努力に励んでいる人は、そう言ったことをしてる暇なんてありません。私もそうで、自分の夢のために全てを削る覚悟で毎日過ごしていますし、この情報発信だってその一環です。

先ほどの自宅マンションの見方による印象の差異については、時間軸でも議論できます。

例えば、小学生の頃は「めっちゃ広い!」と思っていた学校の校庭に、20歳になって戻ってきた時「あれ?これってこんなに小さかった?」と思ったことはありませんか。

深めていくと、その事物を「いつ」体験するか、「どう」体験するか、「誰と」体験するかなど、様々な環境要因は存在しますが、私のような(前述の)自宅マンションの経験をしていない人には当然わからないわけです。

しかし、ここで疑問が湧きます。「全てを経験する、体験するなんて物理的に時間的に不可能でしょ?」というものです。

そんな時こそ、SNSが役立つのです。

4.外側を見る、聞く

ここで本題ですが、インターネットが広大に普及した今こそ、今回取り上げた「ネット情報空間の閉鎖性」に気づき、積極的に「追体験」や「二次体験」する時なんです。

今まで話したことを踏まえて、民主主義国家に住む市民としての賢いネットの使い方は「(物理的空間的時間的に体験不可能なものを)二次体験すること」であったり「あえて(自分の見たいものではない)批判的な意見を見る、聞く」ことです。

他人を不本意に批判して自分の立場を確立するなど、そんな永続的でない一時的な快楽を追い求めるのはもうやめにしましょう。そして、そういうネット利用の方法によって、無意識のネットポピュリズムを醸成するのはやめにしましょう。あなたもその当事者かもしれません。

そもそも、ある研究によると、SNSでネガティブなコンテンツを閲覧したり自分が投稿したりすると、自分までストレスレベルが上昇してしまうことが報告されており、自分のストレスレベルをまた次の日に発散してしまうという負の連鎖に陥る可能性があります。

しかし、今回のコロナに関してもそうですが、オンライン医療相談サービスを運営するMediplatが2018年に公表したネット調査の結果によると、医師の9割が「一般人がネット検索で正しい医療情報を得るのは容易ではない」と答えています。

なので、偏狭せず、正しく情報収集をすることそう簡単ではありません。

しかし、私は皆さんSNSユーザーに「考えること」をやめて欲しくありません。どれだけ情報収集が難しい世の中でも、考えない人間が量産されては、この国の国家運営として危機に陥ります。

ドイツの哲学者ハンナ・アーレントは、障害を通じて全面的に全体主義批判をしていましたが、彼女の言葉はこうです。

「考えるのを止めたら、人間じゃなくなる」
出典:ja.wikipedia.org

私たちは、時として無批判に、直感だけで物事を判断してしまいがちですが、彼女は、かつてドイツで行われた「ユダヤ人大虐殺」という未曾有の殺人を行った首謀者アイヒマンを例に、言ったのです。

ユダヤ人大虐殺の首謀者は精神的異常者ではなく、我々と同様に、上部の命令に従って行動した普通の平凡な人間である。単に思考を放棄した、たったそれだけで彼は大虐殺の首謀者となり、根源的な悪人となってしまったんです。考えるのを止めるだけで、人間は人を平気で殺すのかもしれないと。

無批判・無意識に受け入れる情報が果たして自分にとって正しいのか、自分を生きながらえさせてくれるこの日本にとって有意義なのか、考えなければわからないのです。

こう言っている私も完璧な情報収集ができているとは思えません。しかし、考えるしかないんです。何が正で何が誤った情報なのかを。

そしてその日常の中に、先ほど記述した積極的な(見たこと聞いたことのない)体験をもたらしましょう。

人間は、気づかぬうちにルーティーンを行っています。

靴を履く順番、ご飯を食べる順番、洗濯の仕方、スマホを見る時間、スマホの使い方など。

現代人は江戸時代の人々が一生涯で得た情報を、たった1日で得ていると言われているくらいなのですから、整理された情報を獲得しないと頭がパンクします。

しかしそれは、俯瞰できる力を養う情報であるべきなのです。

物事を局所的、一元的に把握するのではなく、自分と異なる意見を加味しながら議論を繰り返す。そして批評し、アウフヘーベン(弁証)していく

そうやって民主主義の土台が創造されていくのだと思います。

出典:ja.wikipedia.org

民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが
かつて英国の首相だったウィンストン・チャーチルは言いました。

長年討論されてきた民主主義を超える制度は未だ見つかっていません。しかし、その中でも、最悪の政治として機能するか否かは私たちが決めるのです。

深淵な教養と重層的視野を確保し、固定的・閉鎖的・一遍的・独善的・局所的な思考から抜け出しましょう。

体験する。そして、考えるのです。

色々なキュレーションアプリが現在は存在していて、多種多様な情報収集手段があるのですから、それらをうまく駆使して、比較する。この記事で行っていることは、あのメディアではどう語られているのだろう。そうやって考える。そうすることで、メディアリテラシーが上昇して、ネットを民主主義に良いように利活用できるのです。

Twitterの場合は、あえて自分の意見と違う人をフォローしたりだとか、Facebookも同様です。やり方は色々あります。

意味不明な誹謗中傷をしてくる人とは絶対に関わらない方が良いですが、あくまでも良識的判断を下すために、今言ったようなことをすべきだと思います。

断片的な情報ばかり集めていると、知らないうちに誰かを傷つけていることが実際にあるのです。

批判するなら対案を出したり、それ以上のものへと関係性を導いていくように努力した方が良いでしょう。

何が今の日本に必要なのか。どういう方向性が良いのか。そういうことを考える日常を、皆さんに送ってもらえればと思います。

今回は民主主義とネット情報空間の関係性において、個人が出来ることを書き連ねました。

大切なのは一人一人の行動です。

社会破綻が起きないように、もう一度自分のネット利用方法を見直して、新たな智を獲得して欲しいと思います。

ではまた!

 

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miyabi_kyosaka
教育実践キュレーター。慶應義塾大学在学中。NPO法人日本教育再興連盟ROJE所属。読売新聞学生記者。日本若者協議会所属。某 AO入試専門塾講師。N高等学校出身。|「未来は予測するのものではなく、この手で創る」をモットーに圧倒的行動で教育を一新しようと、教育ジャーナリズムの活動をしております。