人や国の不平等をなくそう【連載|高校生が現代を考える#16】

 持続可能な社会、地球を未来に残すための目標を定めたSDGs。この連載では、17回にわたってその17の目標をひとつひとつ読み解き、向き合っていきたいと思います。現代人によって生み出された多くの問題を解決する責任は全ての人にあります。未来の世代に少しでもよい地球を残すため、ぜひ、当事者の一人として、自分にできることを考えつつ読んでいただけたらと思います。


SDGs-17 Goals 連載一覧

SDGs-1、貧困をなくそう【連載|高校生が現代を考える #6】

SDGs-2、飢餓をゼロに【連載|高校生が現代を考える #7】

SDGs-3、全ての人に健康と福祉を【連載|高校生が現代を考える #8】

SDGs-4-1、質の高い教育をみんなに【連載|高校生が現代を考える #9】

SDGs-4-2、質の高い教育をみんなに【連載|高校生が現代を考える #10】

SDGs-5、ジェンダー平等を実現しよう【連載|高校生が現代を考える#11】

SDGs-6、安全な水とトイレを世界中に【連載|高校生が現代を考える#12】

SDGs-7、エネルギーをみんなに、そしてクリーンに【連載|高校生が現代を考える#13】

SDGs-8、働きがいも、経済成長も【連載|高校生が現代を考える#14】

SDGs-9、産業と技術革新の基盤をつくろう【連載|高校生が現代を考える#15】


 さて、今回のテーマはSDGsの10番目の目標である「人や国の不平等をなくそう」です。日本で暮らす私たちには、あまりなじみのない、肌感覚的に危機感が薄い問題かもしれませんが、今、アメリカで起きている黒人への差別問題(BLM)など、世界に目を向けるとまだまだ根強く残っている問題でもあります。すべての人が生活しやすい世界をつくるために、他の人、他の国に対して相対的な劣悪感を感じずに、確固たる個人、独立した国家をしっかりと形成していくことが重要です。見落としがちな問題かもしれませんが、1人の人間として私たちにできる事は何なのかを考えていきましょう。

不平等とは

 お金、教育、健康など人や国の平等を考えたときに、その要素となるものはいくつも挙げられますが、そもそもそれらが平等であるとはどのような状況なのか、初めにその根源を探っていきたいと思います。

 例えばお金を取り上げて考えてみると、経済体制には大きく分けて資本主義と社会主義の2つがあります。ここで資本主義と社会主義の大きな違いは何かを考えると、資本主義は機会の平等、社会主義は結果の平等を下にしていることがあげられます。つまり資本主義では、誰しもが経済的に豊かになるチャンスを平等に与えられているのに対して、社会主義では、誰しもが生きていくために必要最低限の生活を平等に与えられるというのが最もベースになる考え方だと思います。

 同じように教育を考えたときに、日本では、中学校まで9年間の義務教育が用意され、それから先、高校大学へと進学していくのは、個人の勝手であるというのが現状です。小学校、中学校の9年間はすべての人に平等に与えられ、文部科学省の指針に従って、社会人として生きていくために必要な学力、知識、社会性などを身に付けた人を育成するための教育過程です。つまりこれは結果の平等を目指したものだといえます。もちろん、中学校を卒業する時点で、それまでの学習や生活のスキルの習熟度に個人差はありますが、それでもやはり義務教育は結果の平等を目指している部分が大きいと考えられます。

 一方で、高校に進学するとなると、自分で学校を選べるだけでなく、同時に、普通高校、農業高校、工業高校、商業高校など自分の思い描く進路に向かった最適な道をたどることができるようになっています。大学も同様に、自分の学びたい学問を選択できるようになっています。これはみんなが夢を叶えるための機会を平等に与えられているわけです。義務教育を終えて、それから先の高等教育と呼ばれる段階、そして社会人になってからの学習では機会の平等が成り立っているのではないでしょうか。

問題はその奥深くにある

 これまでお金や教育に関して、「機会の平等」「結果の平等」のどちらにあたるかという観点で「平等」という言葉をとらえてきましたが、冒頭に挙げた黒人差別に代表される人種差別問題や、障害者差別、日本における同和問題などの現在世界に根強く残っている問題は、これらの観点で論じることができる平等・不平等とはまた違ったものだと考えます。

 例えば人種差別問題や同和問題は、その人が生まれた境遇ただそれだけで差別されてしまうわけです。もちろん、生まれた場所や肌の色、目の色、国籍、信条などに人間としての優劣が関わるはずがありません。それでもおそらく、人間のどうしようもない自我がはたらいて、そのような差別が起こってしまいます。

 日中戦争中に、蒋介石率いる国民党と、毛沢東率いる共産党が互いに争っていたにもかかわらず、日本という共通の敵が発生したことにより中国国内が団結したと言う話は有名です。これと同じように、自分たちの住んでいる地域、国、また思想を同じにする人など自分の属するコミュニティーの外に存在している人を名指しして、自分たちの敵とすることによって、自分たちのコミュニティーがより強いものになれるかもしれません。

 私たちが、理科の授業で習う語句の中に「優性の形質」「劣性の形質」というものがあります。この語句は、次の学習指導要領の改訂によって、「顕性の形質」「潜性の形質」というように改められるようなのですが、この変更にも見られるように、人間という1つの種のなかでも、これほどの多様性が認められる上で、その個人一人ひとりの遺伝子に優劣は無いということが表されているわけです。私たちは、それを謙虚に理解し、他を認められるような寛大な人間になることが求められているような印象を受けます。

内的要素と解決

 差別は、ある意味思想の問題であり、私たちの不断の努力や、はたまたお金で解決できるような問題ではありません。だからこそ、厄介な問題でもあるのです。

 ここで1つ面白い話をご紹介します。これほどまでにネットが発達した現代においても、あるニュースが広く日本中に伝わるには、ネットで炎上するよりもテレビのワイドショーに取り上げられたほうが影響力が大きい、ということが分かっています。これから、もっとネットが発達すると予想され、テレビの影響力とネットの影響力とが逆転する日も、そう遠くはないかもしれませんが、近年インターネットによりクローズドな環境を求める声が多いという傾向を踏まえれば、まだまだ私たちの情報収集に占めるマスメディアの存在は大きいのだといえます。

 しかし、個人レベルで見れば、スマホでコミュニケーションを図るというのは、ごくごく一般的なことになりました。つまり、発信者の母体が拡大しているのです。SNSなどで、気軽に発信できるようになったのは、誰しもに納得していただけると思います。

 個人レベルでの発信が可能になった現代社会においては、一人ひとりの発言が悉く誰かに影響力を持っています。それは、必ずしも顔を知った相手とは限らず、また自分と拮抗する考えを持った人である可能性も大いにあります。そんな時に、配慮に欠けたメッセージを発信してしまえば、必要以上に強いバッシングを受けることもありえれば、誰か他の人の排他的思想を助長してしまう可能性もあります。それが本当に必要な発信なのか、そして適切な発信なのか、ということを深く考えたゆったりとしたメディアとの付き合い方が求められているのではないでしょうか。

 ここまでは、他でも幾度となく訴えられてきた極めて現実的なソリューションですが、もう一つ意見を加えておきたいと思います。

 ネットの発達で著名人の発言が、過激なまでに執拗に取り上げられるようになっていますが、それによって発信しづらいという環境になるのもいかがなものかと思います。もちろん、誰かを傷つけるような内容ならば、慎むべきですが、必要以上に怖気付いてしまい、適当な議論が起こらない社会になってしまうのもいかがなものかと思うのです。重要なのは、あらゆる人への配慮を忘れない上で、同時にあらゆる人の権利を守るためのアプローチを探っていくことだと思います。

※尚、国の不平等を考えた時に、経済的な不平等も挙げられますが、この連載でたびたび取り上げており、今回はあまり触れてこなかった思想的な面での不平等を取り上げさせていただきました。

(文責:NGT @ngt_nanoka)

画像引用元:
外務省『持続可能な開発目標(SDGs)と日本の取組』PDFより
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/sdgs/pdf/SDGs_pamphlet.pdf  (2020.08.05)

スポンサーリンク
Advertisements
スポンサーリンク
miyabi_kyosaka
教育実践キュレーター。慶應義塾大学在学中。NPO法人日本教育再興連盟ROJE所属。読売新聞学生記者。日本若者協議会所属。某 AO入試専門塾講師。N高等学校出身。|「未来は予測するのものではなく、この手で創る」をモットーに圧倒的行動で教育を一新しようと、教育ジャーナリズムの活動をしております。