功利主義とは何か 全体の幸福度を上げる

※記事の文章が長かったので2つに分割しました。今回は1記事目です。

 今回は「功利主義(平等主義・幸福主義)」を徹底的に解剖していきたいと思います。

 現時点で、あなたは「功利主義とは何か」と聞かれたとしても即答出来ないと思います。しかし、この記事を読む事で、功利主義の全体像並びに利点や欠点が理解出来る様になると思います。

 日常で数多く現れる場面を具体例として取り上げていますので、ぜひ楽しんで拝読なさってください。

 では、功利主義の世界、いわゆる幸福の世界へとLet’s Go!

功利主義の定義

 功利主義とは「物事の善悪を、幸福の総量によって決めよう」という正義です。皆がどれだけ幸せになれるかで、その物事の正しさを決めようという考え方です。

 功利という用語は、一般的に「効能」や「有用性」を表す言葉として利用されるのですが、「幸福」と定義した方が理解し易いと思います。そして、功利主義は、平等を徹底的に追求します。あなたも「居住している地域が平等な場所か不平等な場所どちらが良いですか」と聞かれれば、迷いなく前者を選択する事でしょう。

多数決は平等か

 人は「特権」「階級」「差別」などの言葉を目にすると、不平等性を感じる生き物であり、私たちも決してその様な言葉が横行する世界に住みたいとは思わないとでしょう。そういう時こそ、功利主義の考え方である「平等を求め、幸福の総量を増やすこと」が肝要になるのです。しかし、何を持って「その行いは平等である」と言えるのでしょうか。例えば、ある会社の従業員達が、皆で荷物を運ぼうとなった時、重症化した怪我を負う人に他の人と同量の荷物を持たせる事は良い事なのか、あるいは、何の仕事もせずに横で遊んでいる人にも同じ給料を支払う事は平等なのかなど、平等性はTPO(時・場所・場合)によって異なります。今述べた様な、自分勝手な判断で弱者にも同じ条件を突きつけたりする事は、昨今「悪平等」とすら呼ばれています。

 そして、前述した様な平等性の問題に陥った時、しばしば巷で採用されるのが「多数決」です。しかし多数決も、一概には平等とはいえません。功利主義の定義を更に分かり易くする為に、少しだけ「多数決問題」を考えてみましょう。現代の日本では民主主義、すなわち民衆や議員の多数決で物事が決定されていますが、果たして民主主義における多数決は功利主義的であると言えるのでしょうか。

 まず、多数決では必ず、人々が多数派と少数派に分岐します。例え51人対49人でも、前者が多数派で後者が少数派に分別されます。そして、多数決は多数派の意向が全てであり、多数派の意見が最終的な結果に反映されます。昨今の日本はシルバー民主主義と呼ばれる「高齢者向けの政策が優先される現象」が起こっており、まさに、投票者の数が高齢者の方が若年層を上回り、更にその意思決定が多数決によって為されているので、少数派の意見が反映されない仕組みになっています。
※多数決でも最大限少数派を尊重する努力は必要ですが。

 そうすると、普段は何となく「多数決=平等」というイメージがあると思いますが、決してそうではなく、多数決に於いては少数派の意見は採用されない場合が一般的であり、功利主義的に多数決を見た場合、少数派の意見が反映されておらず、全体として平等ではなく、幸福の総量が増えないという事になります。これにより、多数決は必ずしも、功利主義に通ずる平等なシステムではないという事が理解できたと思います。私がいつも活用する例ですが、ドイツのナチス党の党首アドルフヒトラーでさえ、多数決で選ばれており、その後の悲劇を垣間見ても、必ずしも多数決で平等が達成されるとは確定出来ないと言えるのです。

人ではなく量

 多数決の話然り、功利主義を追求する際に、「何人の人が幸せになれるか」を皆さんは求めてしてしまいがちですが、実際の功利主義はそうではありません。功利主義とは、あくまでも幸福の「量」を絶対的に追求します。民主主義の議論の場において行われた多数決が、どれだけ1万人を幸せにしても、残りの100人が不幸を被るのなら、もっと良い平等の方法があると模索すべきであるというのが、功利主義の基本スタンスです。

快楽計算で幸福数を割り出す

 功利主義を語る上で非常に大切な存在が、ジェレミ・ベンサム(イギリスの哲学者・法学者)です。功利主義の真相を狂気なまでに極めた男で、功利主義の創始者と名指されています。その後には、ベンサムの弟子的存在であるジョン・スチュアート・ミル(イギリスの哲学者・経済学者)がいたり、ベンサムの前の時代にはチェーザレ・ベッカーリアというイタリアの刑法学者もこの功利主義を唱えていました。

 詳しく言い始めると、ベンサムが量的功利主義を唱えたのに対し、ミルが質的功利主義を唱えたなど、様々な情報が出てくるのですが、このベンサムやミル、ベッカーリアについては違う記事で解説する予定ですので、彼らの人生や根幹的思想はその記事を読んで理解して頂くとして、今回はとりあえず端的に、ベンサムの唱えた「快楽を計算する」という方法についてご紹介します。

 功利主義では、平等かつ幸福を徹底的に追求すると上述しましたが、その際に「いや、どんな方法でその幸福が分かるの?測るの?」と思った方がいると思います。そうなのです。功利主義の考え方に於いては、その幸福度(功利主義では快楽数という値)を測定する方法が存在するのです。

 例えば、Aさん、Bさん、Cさんの3人の前に1つのサンドイッチが置いてある場面を想像してください。その時、前提として、Aさんは空腹で、BさんとCさんは既に満腹な状態だと仮定します。

 その前提を踏まえて、彼らに均等分のサンドイッチ🥪を配分した場合、以下の様になるでしょう。

[3人に均等の🥪を分配する]

Aさん=幸福度40点🥪🥪🥪
Bさん=幸福度5点🥪🥪🥪
Cさん=幸福度5点🥪🥪🥪
全体幸福度=50点

 なぜBさんとCさんの値が小さいのかは、既に理解出来ると思いますが、彼らは既に満腹状態で、むしろ何も食べたくないくらいの状態なので、彼ら2人の幸福度はAさん程は上昇しません。逆に、Aさんは空腹状態が続いていたので幸福度が2人より大きいことが分かります。功利主義では、このように幸福度を数値的に測定するのです。この分配方法では、記載の通り、全体幸福度は50点になります。

 では、3人全員の幸福度をもっともっと高める方法はないのでしょうか。それを突き詰めると、大抵の場合は以下の様になるでしょう。

[Aさんにだけ傾斜的に🥪を多く分配する]

Aさん=幸福度70点🥪🥪🥪🥪🥪🥪🥪
Bさん=幸福度3点🥪
Cさん=幸福度3点🥪
全体幸福度=76点

 いかがでしょうか。全く何も貰えないので少し不満を感じてBさんとCさんの幸福度は少し減少しますが、Aさんは元々空腹状態なので、非常に満足し、幸福度が大きく上昇したことが分かります。

 この様に、功利主義では、数値的に幸福度を「可視化」する事で、全体的な平等性に加え、人類全体の幸せの総量を上げる事を目的とするスタンスを取るのです。

トリアージ(命の選別)と功利主義

 トリアージとは、フランス語で「選択」を意味し、日本でも「正しい選別」を行う為に医療現場で使用されている用語です。具体的には、重症患者が1名いて、軽症患者が10名いる場合は、真っ先に重症患者の手当てを行う様な事例があります。命に別状がない軽症患者の方々に比重をかけるより、生命の危険が伴う重症患者の治療を優先するのは当然と言えます。

 このトリアージも功利主義を採用した考え方です。負傷者に対する医師数が足りているのか、輸血可能な血液量、包帯数等、全てを「命第一」で考え、人の命が助かる事で幸福の総量が増える訳です。軽症患者の方々が少しの傷を癒すより、重症患者の方々が完治する方が、幸福の総量が増大するのは容易に理解出来るでしょう。

 哲学の世界に於いても、日常においても、何かが絶対的に正しいというものはありませんが、このトリアージという選択は、少なからず功利主義的に考えれば、完璧に等しい考え方であると言えます。


続編記事に続く…

下記の記事が「続編」です。※長くなったので区切りました。

功利主義とは何か-全体の幸福度を上げる[続]

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miyabi_kyosaka
教育実践キュレーター。慶應義塾大学在学中。NPO法人日本教育再興連盟ROJE所属。読売新聞学生記者。日本若者協議会所属。某 AO入試専門塾講師。N高等学校出身。|「未来は予測するのものではなく、この手で創る」をモットーに圧倒的行動で教育を一新しようと、教育ジャーナリズムの活動をしております。