想像の共同体 アンダーソン ~国家の未来~

 今回は「想像の共同体」という概念を提唱したアンダーソンという人物の主張を紐解き、グローバリゼーションが加速する現代社会において、国民・国家とは何で、どの様な役割を持ち、私達はそれとどう付き合っていけば良いのかを分析していきたいと思います。

 前回の「日本人は単一民族ではない」という記事をまだご覧になられていない方は、そちらをご覧になってからの方が、民族の定義が明確に分かるので、今回の記事がより理解しやすいと思います。5分程度で読めるので、ぜひご覧ください。

 では早速、今回の主題を掘り下げていきましょう。

アンダーソンとは

画像1

from : https://fukuoka-prize-org/

 彼の名は「Benedict Anderson(ベネディクトアンダーソン)」。
母は英国系アイルランド人で、父は英国人を両親に持ち、中国雲南省昆明市で生まれました。ケンブリッジ大学で修士号を獲得した後に、コーネル大学で博士号を取得。アメリカ合衆国の政治学者、コーネル大学政治学部名誉教授として活躍しました。

 専門領域は「比較政治学」で、その名の通り、政治形態をシンプルに比較していく学問です。著書は多数存在しますが、今回紹介する『想像の共同体』は、日本語やフランス語、中国語、トルコ語など数多くの言語に翻訳され、全部で20以上の言語に翻訳されている圧倒的な名著です。
 2015年に睡眠中の心不全で帰らぬ人となってしまいましたが、一般的に「Nationalism(国家主義)」と称される研究分野を開拓した先駆者であり、彼の残した功績は、後世に受け継がれるべき素晴らしいものであります。

 では、アンダーソンの主張を具体的に紹介致します。

想像の共同体

 「想像の共同体」と一重に言われても「何ですかそれは」と思うかも知れません。
 ではまず、Wikipwdiaの定義から見ていきましょう。
 Wikipediaの定義は、ある程度の学識があれば、殆ど理解できる類の説明なので、頑張って一読してみてください。

 アンダーソンは、ナショナリズムの歴史的な起源について考察するために国民国家が成立する以前の段階に着眼し、宗教的共同体と王国が社会の組織化のために果たした役割を指摘する。国民とは、これらのシステムが衰退するにつれて登場した新しい共同体であり、これを推進したのは資本主義経済の成立、印刷を通じた情報技術の発展であるとアンダーソンは論じている。なぜなら、出版産業は国民意識の基盤を提供し、新しい形の想像の共同体を可能とした。この共同体が成立する18世紀から19世紀にかけて、国民国家が登場する。国民国家は行政組織として形成されたが、その組織内部での交流を通じて成員の間に共通の時間、空間の認識が生み出され、同時に同朋としての意識を共有するに至った。アンダーソンによれば、大航海を通じて発見された外国語は自国の言語の比較的な研究を可能とし、言語学者や文学者、知識人がナショナリズムを育む文化的基盤となった。
これらの歴史的な経緯を経て、19世紀には公定ナショナリズムという新しいナショナリズムの形態が確立される。これは国民を統合するという政略的な意図に基づいて国家により定められたナショナリズムで、伝統的な王朝の原理と革新的な国民の原理を総合する特徴が認められた。アンダーソンはナショナリズムが言語によって想像された共同体の一種の形態であると捉えながら、人々が国民に対して特別な愛着の感情を持つ根本的な理由として、国民という言葉には自己犠牲を伴う愛情を喚起すると説明している。

 とは言っても、一読では理解できない方が多いと思いますので、以下で非常に簡明に噛み砕いた説明をさせて頂きます。※暫し極端な表現がありますのでご注意を。

————————————-
1段落目
————————————-

 アンダーソンは、なぜ「自分の国が一番凄いんだ!自分の国大好き!それ以外の国はどうでもいい!」と人が昔から思ってしまうのかを、国という単位が存在する以前の時代に求めました。つまり、宗教の信仰によって人々が一体となった時、あるいは王様が社会を牛耳っていた時代に注目し、それら宗教や王様の存在が国家と同じような役割を果たしていたと指摘します。

 そして、国家という考え方は、それら宗教や王様の力が弱まっていなくなった時代に登場した新しい集団の形であり、その発展には、資本主義(誰もが自由に市場で売買ができる経済)の誕生と、印刷技術を使って発展した情報技術が役立ったと言います。

 なぜなら、出版業界などが良い例で、ある一定の地域の人全員が「同じ情報」を得る事によって、皆が「遠く離れた人とも皆と繋がっている」という感覚を持つ事が可能になったからです。日本で言うと、沖縄の人も北海道の人も同じ新聞やテレビで繋がりあっている感じです。そして、それらの技術とともに、18世紀〜19世紀にかけて、国民国家(自分の国は特別であるという精神)が作り上げられたのです。

 国民国家は、行政を行うための集団として作られたのですが、その組織の中で人々が交流し合う事により、皆で共通の時間や空間を体験するという「団結感」や「一体感」が育まれ、「私もあなたも同じ種類の人間ですね」という感覚が生まれました。

 アンダーソンによれば、ポルトガル人・スペイン人が牽引した大航海時代に、人類が全く違う国の言語に触れる体験をした事が、その後、言語学者や文学者、知識人達が国家主義(自国は特別である)という意識を作るのに有用であったと言います。

————————————-
2段落目
————————————-

 上述した歴史を踏まえ、19世紀には、政治の中心を成す集団が掌握する範囲の中に存在した複数の異なる文化を、その集団の支配的な文化に同化しよう(同じに
よう)という作用、すなわち公定ナショナリズムという動きがありました。

 アンダーソンは、周りの人と同じ言語を使っているという感覚が、人々の「自国は特別」という考え方の大きな理由であると考え、皆がなぜ国民というものに愛着を持つかといえば、国民には「自分を犠牲にすることで生まれる特別な愛情」があるからだと説明しています。


 どうでしたか。噛み砕いた説明の方は分かり易い用語を使用していたので、理解できたと思います。

 以上が、想像の共同体の定義です。

 ではそれを踏まえて、一番肝心な、今回の記事で想像の共同体を用い、一体何を伝えたいのか、を見ていきましょう。

 伝えたい事は2つあります。

私達は人工的なシステムに在り、根源的単一集団ではない

 まず1つ目は、シンプルに、国民意識や国民国家、ナショナリズムは人が生成した人工的なシステムによって醸成されているに過ぎず、元来の人種的統一性は一切ないということです。

 私達は日々、何気なく「日本人だから」とか「いや、あなたは外国人でしょ」という思考に陥りがちです。例えば、海外旅行をしたと仮定して、その現地で、あの戦争は日本国のせいで勃発したと罵倒されたりすれば、虫唾が走る様な思いを感じるだろうということは多くの人が予測できると思います。

 そう感じるのは当然で、その様な類の国民国家を醸成する為にこそ、テレビやラジオ、新聞などの情報媒体が産出されたと言っても過言ではないからです。有名な話で言うと、第二次世界大戦で一世を風靡したナチス党のアドルフ・ヒトラーは、ラジオ等の公衆放送に於ける巧みな演説で人々の心を鷲掴みにしました。同じ地域に住む人々が「国民的〜」を一度共有すれば、一瞬にして国民国家的な国家像を練り上げる事が可能になるのです。

 しかし、もう一度立ち返って欲しいのが、前回の記事でも述べた通り、民族とは、あくまでも共通の言語や文化を共有した共同体の事を指すのであり、元々の身体的特性が共通している必要もなければ、顔が似ている必要性もないという事実です。つまり、民族とは共通のフィクション(虚構)によって統一されるのです。
 ※このフィクション的統一性の重要な意味は、もう少しで訪れるこの記事の最終部分で理解できると思います。

GlobalismとNationalismを再考しよう

 2つ目は、1つ目の提言を交えて、現代の急激なグローバリゼーションの加速により、国民国家や国民意識的な統合的社会通念は薄弱化しており、個人としてのアイデンティティを確立すべき時代に差し掛かっているという事です。

 『想像の共同体』でアンダーソンが主張した様に、あくまでも国民国家とは人為的に生成された想像上の幻想に過ぎず、時代観として「国家→個人」の時代に差し掛かった今こそ、自分自身で自由自在に、国家だけに縛られず、拠り所となる場所を探索しようという事です。

 アイデンティティは近年、自己同一性と訳されますが、いわば「自分は何をしている人なのか」という事であり、その核は今までの国民国家時代には、国家が大きな役割を担っていた訳です。しかしながら、米国のシリコンバレーはじめ多数の企業勃興が起きている地域を見渡すと、一国家という単位を超えて、190カ国以上の国・地域に向けた経済活動や商いが実施されている事が見受けられます。

 事物や国境を越境し、世界を渡り歩く事が可能になる時代、更に、人口減少社会と共にインバウンドや雇用目的の労働者が国内に流入してくる時代には、個人としての強力性を発揮しなければなりません。激流の時代に於いては、組織にすがり、組織全体の方向性に追従していくだけでは、大きな変化が起きた際に、その組織ごと潰れてしまい、自分も行き場を失う可能性が極めて高いのです。

 確かに国家主義的な思考方法で生きていれば楽かも知れません。しかしながら、今回のCOVID-19への対応的政策然り、もう国家に頼れる時代が過ぎ去った事は自明ではないでしょうか。グローバル化の波はより一層加速し、世界的な一体経済が到来しています。かつては閉ざされていた空間的障壁や時間的障壁も、IT・AIにより越境できる時代がもう既に、いや、随分と前から訪れているのです。

 自民族国家に陶酔する事で得られるメリットは限りなく消失していき、同じ土俵で自分と経験した文化が異なる国の人々と競争する日がもう既に来ているのです。

想像であるからこそ、一瞬にして溶ける ~越境時代~

 想像の共同体とは、その名の通り、想像の上にある共同体であり、以前の記事で述べた様な物理的・身体的統一性がある訳ではありません。そして、ナショナリズムが勃興した18・19世紀に、一瞬にして国民国家が醸成された様に「国民国家が溶ける」のも一瞬だと私は考えています。

 既に、日本以外の先進国では、画一的な教育カリキュラムの一新が起き、個人尊重型の教育体制が整備され、メジャーとされる企業が目紛しくが入れ替わります。しかしながら、日本では未だ明治維新と共に創造された均質的・同質的な教育カリキュラムが存続し、レジーム(政権)も愛国性を孕んでいます。上手に愛国心を利用するならまだしも、今の様な柔軟性にかけた対応では、先進諸外国に追随する能力はもはやありません。

 例えば、サッカー元日本代表本田圭佑選手を始めとする海外組は各地に飛び回り、ジャーナリスト達も海外へ飛びまわります。スポーツや芸術の世界では既に世界規模での越境が日常となり、人々の越境は加速する一方なのです。
 昨今はCOVID-19の影響により、外出不可能になりましたが、それでもデジタルで物事は進み、デジタルデバイス上で人々の越境は継続されます。

 だからこそ、皆さんも「物事を越境できる人」を目指してはどうでしょうか。
 私の例で言うと、3つの高校を経験し、N高等学校というまだ当時は設立2年目だった高校に思い切って飛び込みました。高校2年で急に思い立って、ニュージーランドやドイツに留学に行ったこともあります。更に、今でも自分でアポイントメントを取って大勢の有識者の方々と研究している「教育」についての議論を行ってたりしています。
 その中で、個人としての力を育もうと必死になって学びました。今もその真っ最中です。ストーリーは自分で作れるのです。漫画やドラマの主人公になりましょう。

自由自在に乗り越える、変化しなければならない時代

 包括すると…
 今回、想像の共同体という概念を取り上げたのは、国民国家(Nation State)を分析する為ではありません。
 共同体や国家、民族とは、あくまで想像上の集合体に過ぎず、あなたの所属しているチームや団体、クラブ、学校も想像の共同体に過ぎないという事です。

 私は彼(アンダーソン)の主張を学んでから、物事の切り替えや変化に対応する力がより一層身に付きました。理由は明快で、集団や組織が強固に連結していた時代には、共通する1つの信仰物が必要ですが、それ自体は決して物理的でも身体的でもなく、あくまで想像上の物に過ぎないと知ったからです。

 想像物である限り、それから逸する事も、皆さんが思う以上に困難ではないと知っているからです。異質な空間へと飛び立てる準備が、あなたも既にできているということです。身の回りのデジタル環境を見渡してみてください。あなたのすぐ目の前に、越境できるツール(道具・手段)がある事が理解できるでしょう。

 最後に、私が以前発信したTweetを見てください。

 江戸時代に強健に固定された身分制度、明治時代に国を挙げて行われた国民国家の創造。しかし、今私たちには「選択する自由」があります。

 毎日、ごまんとある学校、会社の中から「わざわざ自分の嫌いな場所に行く」のはなぜか、想像の共同体に囚われてはいないか、今一度考え直してみてはいかがでしょうか。

 今回はベネディクト・アンダーソンが主張した「想像の共同体」という概念を掘り下げながら、民族には想像的統一性しかないという事実を学ぶと共に、あなたが目指すべき未来の方向性が伝わったのではないかと思います。

 インプットの後はアウトプット、そしてそれをフィードバックする事でより一層と学習効果が高まり、目の前の人生が一変します。一歩踏み出してみてください。

スポンサーリンク
Advertisements
スポンサーリンク
miyabi_kyosaka
教育実践キュレーター。慶應義塾大学在学中。NPO法人日本教育再興連盟ROJE所属。読売新聞学生記者。日本若者協議会所属。某 AO入試専門塾講師。N高等学校出身。|「未来は予測するのものではなく、この手で創る」をモットーに圧倒的行動で教育を一新しようと、教育ジャーナリズムの活動をしております。