教育の3つの役割 政治・経済

 日本の学校教育について考える時、いつも参考となるのはアメリカ合衆国(以下:米国)の教育です。私は現在『教育改革のやめ方/広田照幸』を拝読しているのですが、その中でアメリカと日本の教育について非常に興味深い部分がありました。それは「教育には3つの役割性がある」という部分です。今回は、米国が学校教育において大切にしてきた3つの概念について簡単に紹介します。教育とは、子供にただ単に知識を伝授するだけの行為でなく、複雑な関係性の中に存在しているのです。その事実を知り、教育についての理解を深めましょう。

アメリカは超学歴・学校歴社会

 まず前提として「学歴と学校歴の区別」に関する話をします。皆さんは「学歴」と聞けば、東京大学や京都大学などを思い浮かべるでしょう。しかしながら、本来の学歴の意味はその様な各大学を指すものではないのです。実際、学歴の本当の定義は意外と知られていません。実は、学歴とは「小学校を出た」や「大学を出た」という、あくまで「どの教育課程を修了したか」を示すものなのです。つまり、どれだけ東京大学に学部で入学しようと、全く知らない大学の学部から大学院に進学した人の方が「高学歴」と言う事になるのです。

 逆に、学校歴とは文字通り「どの学校を卒業したか」を示唆します。東京大学を卒業していれば「高学校歴」ですし、京都大学を卒業していても「高学校歴」でしょう。つまり、世間で「東大を出た奴は高学歴エリートだ」と叫ばれているのは用語の使用ミスである事が理解できるでしょう。

 この区別は明確に行っておかないと、議論が破綻するので先に定義を述べておきました。では具体的にアメリカが目指す学校教育の3つの役割とは何なのか見ていきましょう。基本的に戦後日本の教育体系はアメリカや英国を模した形態が多いので、アメリカの目指す教育の3つの役割を日本もある程度追随しているので、日本はどうかなと考えながら拝読して欲しいです。

①民主的平等(集団主義・政治)

 この概念はその名の通り、民主主義的国家を維持する為に必要な事です。シンプルに言えば、国家や共同体コミュニティを形成する・存続させる為、国民に民主主義の一投票者として必要とされる能力を広範囲的に植え付ける名目の元で目指される、教育の役割です。

 この概念はいわば集団主義的で、政治的側面の含有が強いと言えます。教育の目指す役割の1つ目は政治参画的市民を形成する為の「民主的平等」なのです。そして、これは公教育の果たすべき極めて重要な役割だと言えます。何故なら、民間の学校でしか国民に必要な素養を身につけられなければ、地域間格差・経済的格差が増大しますし、それでは選挙で投票する国民の意見にある程度の信頼を置くことが出来ず、国家運営において重大な欠陥となり得るからです。教育とは民主主義の土台を育む場所なのです。皆が皆、富に豊で勉強ができる環境に生まれるとは限らないので、最低限の保証を国が為すのは至極当然の行いです。

②社会的効率(個人主義・市場経済)

 この概念は雇用主ないし納税者の視点です。これはつまり、現代の経済が求めている職業スキル・技能の育成の為に果たされるべき教育の役割で、経済成長と社会繁栄に欠かせない要素です。将来、市場経済で働く子供達にその厳しい環境でも戦い抜ける様な職業的知識を育む為の教育です。

 この要素も激動の現代社会では、子供達の個人的行動指針の面や、子供達が市場経済で働く場面において極めて重要になってきます。例えば、国民全員が起業できる時代とも言われている中、子供達に個人起業で生きて行く方法、あるいは財務的処理を教える事は必須になるでしょう。職業は人の人生の土台を形成する肝要な事柄なので、それを公的な学校教育において育むべきだという意見は、的を射ていると思います。今現在その様な教育が行われているか否かの真贋は仮置きしても、多彩な価値観が流動的に交差し合う現代に生きる子供達に対して、学校教育が為すべき項目の一つである事は間違い無いでしょう。

③社会移動(個人主義・市場経済)

 これはその名の通り、社会移動ができる能力を身に付けさせてあげようという教育の役割です。将来社会に出て仕事をする子供達が「違う階層・社会的地位」に移動できる様にする為の教育的目的です。

 この要素は現代の資本主義社会のシステム構造から鑑みれば、当然の事ですが、教育制度が世界各国で確実に整備されていなかった古い時代と比べてこの事柄の重要性は限りなく増しています。何故なら、職業選択の自由・居住移転の自由が保障されている現代社会でこの能力を育まないとすれば、それは「我が国は共産主義国家である」と明示している事と何ら変わりがないからです。子供達は常に「成り上がる権利」があり、自分の生まれた育ちに拘らない大々的な目標を持つことが許されているのです。少し堅く言えば、教育を享受する個々人がその社会的地位の強化保全を目指す為にある教育の役割です。

教育は他分野より一層ステークホルダー(利害関係者)が多い

 上記の3つの概念はアメリカの教育史家デヴィッド・ラバリーという方が唱えたのですが、まぁ全て納得できる事柄ばかりです。私には毛頭、日本の教育がその様な役割を全面的に果たせているとは思えませんが、この機会に皆さんも、自分が教育を受けた時間の中で、その様な3つの事柄を教えられてきただろうかと考えてみてはいかがでしょうか。最後に少し教育のステークホルダー問題について書いて今回は終わりにします。

 今読んでいる『教育改革のやめ方/広田照幸』にも記されている問題ですが、教育は他分野と比較して圧倒的にステークホルダー数(利害関係者数)が多いんです。つまり、一つの事柄を決定する際に「その意見は違う」と言われる蓋然性がかなり高いという事です。利害関係者の数が多く、それぞれの関係者が各々の独創的な意見を有している訳ですから、当然「意見を合致させるのが困難」になってきます。それが教育の発展・進展を遅延させている原因でもあると言えるのではないでしょうか。

 教育に利害関係者数が多いのは考えてみれば当然で、このご時世、「幼い頃からサッカーをずっとやってきました」という人は全員でなくとも、「小学校や中学校に通って教育を享受していました」という人はほぼ全員だからです。その分、誰しもに、自分にしかない教育観が内在しているし、皆が教育に関して意見を言い易い訳です。戦後日本が急激に発展して高度経済成長期まで辿り着いた時、日本の教育は非常に画一的でしたが、その分「一気に広まった事で、地域間格差や個人間学力格差」がある程度是正出来たのです。しかし、一気に普及し全国的に一律のカリキュラムが実施されているが故に、流動的で柔軟的、ドリフト的な意思決定ができないという仇がついて回っています。

 今併読している『日本再興戦略/落合陽一』で描かれたいた事ですが、日本人は三種の神器や3Cなど、耐久消費財や電気機械は全国民で同等の物品を共有する民族だったので、その分スマホも海外と比べて急激に普及し、通信システム4Gの国内圏は韓国に次いで世界で2番目に広域です。しかし、その「全員同様神話」が広まり過ぎたせいで、制度疲労的な現象が起きた時の対処能力が欠乏してしまったのです。

 しかしながら、私としては明治に外国で「日本はこのままだとヤバイ」とか言われた時に最終的には日本人皆が丁髷(ちょんまげ)からざんぎり頭に転換した事と同様に、今回のCovid-19に関する動きもlittle by littleで柔軟化・機敏化していると感じています。信じましょう。

 また来週の同じ曜日に教育学関連の事を呟きたいと思います。

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miyabi_kyosaka
教育実践キュレーター。慶應義塾大学在学中。NPO法人日本教育再興連盟ROJE所属。読売新聞学生記者。日本若者協議会所属。某 AO入試専門塾講師。N高等学校出身。|「未来は予測するのものではなく、この手で創る」をモットーに圧倒的行動で教育を一新しようと、教育ジャーナリズムの活動をしております。