学校法人桐蔭学園 溝上慎一理事長 Interview ~新しい時代の個性と適合 アクティブラーニング型授業~

桐蔭横浜大学特任教授,トランジションセンター所長,学校法人桐蔭学園 溝上慎一理事長にインタビューさせて頂きました。

Contents
1.カタリバとN高等学校
2.小中高等学校におけるアクティブラーニング型授業導入の意義
3.1970年代の学習者と現学習者
4.平成という複雑化した時代

5.新しい時代に求められる能力とは
6.適合させる学校と個性
7.個性と適合の相対的関係性
8.中間上位層の恩恵
9.前提基盤を共有する大切さ

1.カタリバとN高等学校
溝上理事長
カタリバに全国高校生マイプロジェクトというものがあるのですが、最近あそこにN高校の生徒がよく来ます。
しかも普通の学校は大体グループで来るのですが、N高の生徒は1人で来ます。今年は都合が悪くて全国の審査員ができなかったのですが、関東の予選の審査員をした時にはN高の何人かの生徒が発表に来てくれました。発表も良かったです。
そういった事をN高と学校でどのように行なっているのかは非常に気になります。

京坂
僕自身の見解では、N高に入る前段階から既にある程度の自主性がある生徒たちが多いと思います。なので自主的にそう言った活動に参加する方々派多いなぁと思います。N高からはそういった行事や活動の発信もある程度はあります。

2.小中高等学校におけるアクティブラーニング型授業導入の意義
京坂
今現代の小中高等学校教育における課題とはなんでしょうか。溝上先生のご視点でお聞きしたいです。

溝上理事長
私はアクティブラーニングというものを出していますが、アクティブラーニング自体がテーマではないのです。
一番のテーマは「トランジション」です。やっぱり「なんのための学校教育か」という事です。

仕事社会に当然、子供たちが将来出ていくわで、大学では「学問」、高校では「大学入試」と言いますが、そういったものは大きくは将来、仕事社会に出ていく為のものであって、大学で学問をやったからといって皆学者になるわけではないですよね。

京都大学に長くいましたが、そういったところでさえも学者になる人は多く見積もっても2~3割くらいえ、その他の人達は他の業種になります。そのような事柄を大学は今まで気にしていなかったのですが、ここ10年は多くの人々が大学に行くようになってきて、気にしないといけない段階に来ています。そういった中で、あなた(京坂)のような、自主性を持ってインタビューや他の活動に参加出来て、自分自身のプロジェクトをしている事は、非常に素晴らしい事だと思います。

3.1970年代の学習者と現学習者
溝上理事長
実は70年代(1970年代)位まで多くの学生は、自分で本を読んで社会の事を考えたものです。

当時は、例えば大学の授業も緩やかで、サボったり、1日授業が有るか無いかの中でみんな喫茶店に集まって議論を交わしたりもしていました。皆、本を読んだり「本は読むものだ」と言うプレッシャーはあったし、やはり色々物事を考えて議論をして、思考も働かせていたと思います。そういったことは全然学校教育や制度、カリキュラムと言う話ではなくて、「アカデミック文化」のようなものです。エリート文化の余韻があって、進学率もせいぜい2~3割でした。上の人たちが体裁を保っていた時代でもあります。

日本が適応(自分より、社会から求められている力に合わせる力)と言うことを非常に大切にした1980年代終わりまでの時代で、僕はそのど真ん中に生きて来ました。Adjustment(適応)なので自分の個性ではなく周りに合わせる事が普通だったのです。「答えがあって、レールが引かれている」「出る杭は打たれる」と言うのが本当に存在していて、その中にも個性的な人はわずかにいましたが、ほとんど目に見える範囲の人達は周りに適合していました。そしてそれは「正しい生き方」と見なされていました。世の中も個性的な人を求めていなかったのです。周囲に合わせられる人たちの名から個性を光らせる人が10%程度ですが存在していて、そういった人達はエリート文化のようなものを享受うしてきた人達だったのかもしれません。いくら世の中画一的と80年代,70年代に行っても、会社に入ったら画一的な中でも抜けていく人たちが1~2割はいて、それでその当時は成功出来ていました。

4.平成という複雑化した時代
溝上理事長
しかし、90年代以降になると適合していく先の社会や企業、官公庁も含めて、崩れていきます。
「信頼して人生を任せて、合わせてきたばかりに人生が終わってしまう」という事が実際に起きていました。
昔よく「勝利の方程式(いい学校や大学に入って、いい会社に入る)」と言いましたし、嫌という程聞いてきました。大きな会社に入ったばかりに人生が終わってしまうという事が出来てきたのです。実際、絶対に潰れないと言われていた銀行が潰れたり、証券や銀行などももの凄く硬くて人生の勝者で、有名大学の人たちが就職していくような所がです。日本全体が今まで築いてきた物が潰れ、自分ん達の進む道を見失っていたのです。
社会が非常に複雑化し、その頃にネットやウェブ社会が台頭してきて、情報化やグローバル化が急速に進みます。昭和(溝上先生の定義路して1980年代以前)から平成に入って社会の構造が常に「社会の最高増加や再構築化」に変化し、「ある知識を学んだだけでは生きていけない」「ある学歴を得ただけでは人生は保障されない」というように社会が変容していきます。

常に知識は再構成されるし、常に情報は最新化します。携帯やスマートフォンなどを代表する新しいIT技術も出てきていました。

5.新しい時代に求められる能力とは
溝上理事長
その中で「資質能力」という知識だけではない、能力や態度というものが重視さて、求められるようになりました。
以前からもありましたが、以前より数百倍程度社会において求められていると言っても過言ではありません。

いくら個人の頭が良くても、考える力や協働性、プロジェクトを遂行していく力が無いと意味がないわけです。そしてそれが学校教育に下りてきている事象がここ10年の流れです。小学校は中高と少し違いますが、小学校においては既に、昔からグループワークや協働学習というものは行われていました(アクティブラーニングとは定義してていませんでしたが)。

私の時代もそうです。しかし資質能力を育てるためのものではありませんでした。というのも、例えばグループワークにしても、発言していない子がいたり、違うことをしている子がいる事があるからです。

昔は「1人で施工して理解できなくても、皆で考えたら何か出てくるぞ」というのがあって、「1人で話す力」や「人の話を聴く力」は問われませんでした。しかし今はそれらが問われています。今小学校に求められているアクティブラーニング、主体的・対話的で深い学びというものは「資質能力の育成」という側面が強く歌われているのです。

小学校では講義だけの授業など有り得ませんが、今回の政策が進んだ時も「自分たちは普段から行なっているから、あまり関係がない」となっていました。しかし実は問題があり、あくまで文部科学省が上位に掲げている「資質能力」と照らし合わせて観察すると今までやってきた事だけで十分ではありません。

例えば声の大きさや、相手の顔を見てしっかり話す、異なる意見に対して持論を返していく事などです。「班でまとまりました」だけではダメで、小学校型のバージョンでい良いのでそこでしっかり知っ室能力的な活動を施して行かないといけないのです。そういった部分が「資質能力」という観点から見る小学校の現状の 課題だと私は思います。

中高に関していえば小学校卒業を機に「一方通行形」の授業の割合が非常に増えていきますが、gるーぷワークにおいても話を聞かない、先生が言ったことに従わないという問題があります。私はできるだけ「2割」という資質能力育成活動の目安を提唱していますが、一杯一杯行う必要はなくて、出来るだけ活動(アクティブラーニング)を増やして、聞くだけではなく知識も学びながら、他者や集団へ自分の意見を述べられるようになる必要があると思います。だから、小中高の課題を見たときに、新しい時代に向けてしっかりと力をつけていく必要がありますし、しっかり歩んで変化していける学校と形だけで諦めてしまっている学校がある事も問題です。

6.適合させる学校と個性
溝上理事長
私は昭和の非常に適応の強かった時代において、ものすごく不適応でした。
まさにクラスのみんなと一緒に学ぶなんでいうことは大っ嫌いでした。

例えば私でいうと塾にあたります。塾はある時は面白かったけれども。あるときに成績が伸びなくなってくると、あの窮屈な空間が非常にしんどくなります。点数が一点刻みでとにかく頭に詰め込んで、テストで良い点を取った人が「良い子」でした。私は勉強が大好きで「自分の好きなようにこんな部分を夫考えたい」と思っていましたが、そんなことよりも「与えられたものをどんどんこなして、テストで点数を取り、いい中学いい高校、私学に行く」といった風潮がありました。塾のやり方では、私の成績は伸びませんでした。それがいわゆる普通の中学や高校の授業にも影響を及ぼしました。

中学は普通に卒業をして高校は大阪の進学校に行きましたが、それでも本当は私学に行きたくて、自分は大阪の学区のトップ校と言いますがそれでスラ滑り止めのイメージでした。その中で高校に行ってからも授業が苦しい時期がやって来ました。
高校に関していうと、2年生の最初の時期に病気をしたこともあり、話は複雑なのですが、私は高校に4年間行きました。クラスに入って授業を皆と受ける事が出来なくなりました。

当時まだ「不登校」という言葉はなくて「登校拒否」と行っていた時代で、「不登校は」1980年代終わり頃に出てきましたが、その頃はまだ1980年代半ばでした。「保健室登校」などがはしりで始まった形で、私なんかは世の中の第1号くらいの感じでした。「保健室でも来たら出席日数をつけてくれる」と聞いて「それで良いなら行きますよ」といったところでした。

サッカー部の顧問の先生もいい先生で、「保健室に来れなくてもサッカーボールを蹴りに来たらそれも出席日数に入れてあげますよ」なんて言ってくれたりもしました。しかし高校3年生の秋の頃にこういった事がバカらしくなり、登校拒否が治りました。「ようは座って話を聞いていれば良いのだろう」となったのです。教室の中にいるようにはなりましたが、国語の時間に数学をやったり、テストのために勉強をしたことはありませんでした。

つまり、世の中が「個性」というものを認めずに、当てはめられる人たちを養成する中で、そういう流れから私は完全に外れていました

7.個性と適合の相対的関係性
溝上理事長
私は大学受験も自分で勉強して上位の大学を目指していましたが、なぜか模試などの点数は「不安定」でした。
なぜかと言うと、大学生になってから考えて分かったのですが「問題を解くときに、皆だったらこう言う風に解くだろうな」という声が自分の中に聞こえてこなかったからです。

結局、自分1人で勉強してもダメだったのです。

それまで私は自分人で勉強がしたくて、自分がきになる所を突き詰めたいし、時間をかけたいし、出来る所はサッと行きたかったのです。好き勝手やると言う意味ではなく、与えられた事をただこなす事が嫌だったのです。

もう1つ高校生の頃に模試や受験勉強をしていた頃に非常に感じていたのは「自分がどれくらい出来ているか分からない」という事でした。自分の書いた答案にはあっていると思って当然書いているわけですが、「これをみんなが難しいと思って解いているのか、簡単だと思って解いているのか」が分かりませんでした。難しく言うと社会的フィードバックと言いますが、問題を皆で解いて、「皆が意外と出来ている。私の方が出来ている。」とかいう積み重ねは非常に大切なのです。
研究や仕事でも全部一緒で、私は大学生になって1年生の頃に色々授業を受けていて思ったのはやはり「1人で勉強してはいけないな」という事でした。そして私はそのために、大学生時代に本を読んだり勉強をしたり、112時間くらいしていました。バブルの絶頂なのにです。

やはりそこまでやったのでどこかで「学者になりたい」と思いました。

その時に自分に課したルールがあって、まず専門の勉強や学校の勉強をする前に「一体これについて世の中の皆がどれだけ理解しているのか。人の話を徹底的に聞こう」というものです。本を読んで1人で、だけではなくて、それも行いますが、色々な人の話を聞いて「それは皆言っているよ」や「それは君すごいね」というフィードバックをもらう事が非常に大切です。色々な人の所や講演会へ行って話を聞いて、沢山怒られたりもしましたが、そのおかげで私は大学2年生の終わり頃、頭の中ではすでに大学院は終わっていました。当時それくらい勉強したし、人の思考がレベルが分かる程、自分と人を徹底的に比べていました。大学に入るまでは苦労したし時間がかかったけど、大学院以降は、人より10年くらいはやく進んでいる、出世していると言われたりもしました。

画一的というものをすごく否定をして、私は人生を何度も失敗しました。私はそういう自分なりの総括をしています。ですが結論を言うと「画一は否定しないけれど、画一にはハマりたくなかった」と今でも思っています。

8.中間上位層の恩恵
溝上理事長
中間上位層というのが世の中にいて、この人達はかなり凄いのです。世の中は中間上位層がかなりの基盤を作っています。

受験でも、これだけ個性的な教育が進んだ中でも「答えがある世界」というものが存在していて、中間上位層というのはその答えに非常に貪欲なのです。そこに中間上位層は徹底的に合わせていきます。その代わりそれを超えることは出来ない。それは昭和の時代にもあったし、今もあります。

中間上位層の存在を身にしみて感じたエピソードが2つあります。
1つは塾です。私は中学校から塾に行って、中1の終わりくらいには中学3年間分を終えるスピードでした。なので週5回、月水金は4時間で土曜日6時間、日曜日はお弁当3つで8時間でした。それを中学1年生の頃にやっていて、私はそれが楽しくて仕方ありませんでした。塾の方の勉強はどんどん進みました。ところが途中で成績が伸びなくなりました。今的に言えば塾の教え方と自分の勉強の仕方がかなりズレていました。そして特進コースをやめて、普通コースに戻りました。地域のトップ王を目指すコースです。普通コースに下りた時は勉強が非常に簡単に感じました。中1の時に3年間を終えているので、全てが復習でした。ところが彼らは普通コースの中でしか勉強をしていないのに、ちゃんと「基礎的な問題」をおさえてくるのです。私は難しい問題は出来たけれど、「簡単な問題は絶対に外さない」という勉強は行って来なかったわけです。彼らは難しい問題は解けないのだけれども、基礎的な問題をしっかり合わせるという能力に長けていました。
今で行ったら高校でいう公立の問題やセンター試験における「どれだけ間違わないか」です。それに私は間違えるわけです。でもそれを彼らはほとんど正解するわけです。そこで「コイツら凄い」と度肝を抜かれました。

2つ目は中学の頃のマラソンです。私は走るのが速かった方で、いつも1位の陸上部で長距離専門の人にずっとついて走っていた訳です。そこまで1位の人が引っ張っているので、それからどれだけ置いていかれても私は2位でゴール出来るわけです。
ところがそれは、非常にしんどいので「そうか、こんな1位のキツイのに付いて行くのではなく、その後ろの2番手集団の人たちにしっかり付いて行って、最後にダッシュだ」と考えつきました。
この2番手集団は塾でいう「普通コースのトップ」です。そして2番手集団に付いて行ったのですが、彼らは「意外と速い」わけです。だから自分のペースなんて言ってられませんでした。そしてみんな最後にダッシュして、それにも付いていけず、結局3番手集団としてゴールしました。

これらの2つの事柄を踏まえて、2番手集団、中間上位層は非常に凄いと痛感しました。
「手を抜いて勝てるような相手ではない」のです。
だからこそ、その教訓を得て、今行なっている大学の研究でも「絶対に手を抜かない」と決めています。

9.前提基盤を共有する大切さ
溝上理事長
「画一的な教育」というのは当然今の時代、表上は言わず、「主体的、対話的な学び」、「答えは1つではない」と言います。

しかし、答えがない世界の手前に「ちゃんと答えがある世界が8割ある」という事なのです。

学校に対する批判に共感するん部分もありますが、私は学校がダメだとは思っていません。

8割答えのある所にみんなを誘う部分があってこそ生まれるものがあるのです。

私は長い間、京都大学で「受験の勝者」と言われる人達を見てきましたが、そういった部分で非常に凄かったのです。ここまでは出来るというものがハッキリしているし、やはりその中から12割は抜けてくる人達がいるものです。むしろ前述の8割が抜けていると、日本の基盤は沈没してしまうわけです。

学校という所や教育というものは「スタンダート」を大枠で作っていく部分と、個人の個性を作って抜けていく部分を持つべきで、やはり個人のユニークさは「元々持っているもの」と「誰と出会うか」という事で育まれる部分が大きく、確率論で、そこで良い先生に巡り会えるという事は保障されないのです。

京坂
「個性を伸ばす」という観点では、8割の部分が基礎としてないと、2割は生まれないという事ですか?

溝上理事長
あまり極端に言いすぎると誤解を招いて「8割出来るまで、2割は行わない」という風になってしまいますが、今の教育政策の中ではそれは間違いだとよく言われていて、8割やる中でも2割、3割、それ以上の基礎地を作っていく事が大切なのです。

今は「答えを知っているから出来る仕事」ばかりではないので、結局あなたはどう考えますか?という事です。

しかしそれはあくまでも、基礎を前提とした話であり、その上で「自分の考え」が求められる時代なのです。

京坂
今溝上先生が「学生」に戻れるならどのような学びをされますか?

溝上理事長
学校全体で基礎を前提としながらも、個性を作っていくと思います。
アクティブラーニングを本気でやったら、否応無しに個性を育まざるを得ないので、本気でやればアクティブラーニングは基礎を前提にしながら個性を伸ばすのにピッタリなのです。そのように私は学校全体のプログラムにしっかり乗って、周りがやっていなくても11つをしっかり行うと思います。

よく生徒に言いますが、例えばサッカーでも「パスを1つ受けるところに試合を見ろ。」と。この1球で勝負が決まるトラップやパス出し、ヘディングをしようと。そういう風に日常を過ごせたら力はつくよと。

他方で私が1番警告を鳴らすのは「1人で勉強するな」という事です。結果勝手にやるのは良いですが、自らの1人での勉強によっての苦い経験が私にはあるからです。やっぱり私以外で同じように1人でやっていた人が必ずしも何かを得られているわけではないのです。「相対化」という視点を持っていれば、一人一人のユニークさが世の中に響いていたなぁと非常に実感しています。

私はもう一度ここに来いと言われても、まず無理です。今の自分は、10回以上の奇跡が重なり合った結果の姿だと思っています。

難しいですね。個性というのは港合わせず1人でやる事ですが、皆と合わせない限り個性はわからないのです。だからこそ、トップ3人が集まることによってプロジェクトが崩壊したりする事もあるのです。

付いて来てくれる人達を引っ張るためには、「付いて来てくれる人達の気持ち」が理解できないとダメなのです。これが僕が50年生きて来たゴールデンセオリーですね。

美術館などで絵を見て、芸術を初めて見た人が「この絵はすごいな」と分かるかというとそう簡単ではないわけです。

例えば1つの絵にコメントするためには、数多くの歴史的背景や色の使い方の伝統、強調の仕方などを表現する理由を、前提として組み込んでおかないとコメントが出来ないのです。

自分で好き勝手いいと思う絵を描いたって、それをプロがみてもいいとはなりません。
そういったことを前提に理解した上で個性を表現していく事が社会的個性だと私は思います。

私は色々な人に会って色々なフィードバックをもらい、反省や勉強を積み重ねてきたからこそ、自分が言っている事が世の中にどう解釈されるかという事が理解できるわけです。思って、言う事には常に、社会的な色がついているわけです。この人はここにいて、あの人はあそこにいるという位置的,能力的理解を深めるべきだと思います。

京坂
アートの話もしかりですが、自分の戦うステージと「同じ」ステージの人達や物事の8割を知ってから、2割を伸ばすという理解でよろしいでしょうか。

溝上理事長
そうですね。
少し噛み砕くと、私は心理学が1番の基本です。当然、教育学や社会学に経済学、高校の時は理系だったので化学や生物、宇宙を学びました。これらのいわゆる「広く学ぶ」事を心理学を抜きにやっていくと「ただの物知り博士」になってしまいます。自分が何の関心があるかわからない状態で学校や大学などで「広く、一斉に」学ぶと、あまり身に付きません。

例えば万葉集を読むにしても、令和ということばを踏まえて読むとまたひと味違うわけです。雑談でジャズの話が出たりしても、私はそこで興味を持って、ジャズのCD1枚買ってみたり、本を買ってみたり、そこでまた本に出てきたアメリカ人の黒人の歴史の話に興味を持ったりと。
自分の専門を持っている事は当たり前で、それ以外のところかにどれだけ思いや知識、思考を馳せられるかが大切だと思います。

全然関係のないところから以外と専門が深まったりする事も非常に多く、同じようなことを考えている人達とのギエロンは確かに面白いのですが、以外と深まらなかったりする場面もあります。私でいえば、学会や研究会もちゃんと存在しますが、それ以外の場も数多く作るようにしています。

~溝上慎一理事長へのお礼~

今回はお忙しい中、一高校生に貴重なお時間をありがとうございました。

僕もN高等学校に在籍していて、自由に学べる面もあれば、個人で動く事も多数あるので、相対評価や相対化を定期的に日頃から行うことによって、より僕の研究が深められたらと感じました。本当にありがとうございました。

[溝上慎一理事長 プロフィール]溝上慎一(みぞかみ しんいち,19701月生まれ)
心理学者。教育学者。
学校法人桐蔭学園理事長、トランジションセンター所長、桐蔭横浜大学特任教授。
専門テーマは心理学では自己・アイデンティティの形成/分権的自己観/現代青年期、教育学では学びと成長/学校から仕事・社会へのトランジション(移行)/アクティブラーニング/キャリア形成など。

著書多数

 

 

 

 

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