LTL#14 – 「生徒の分人主義」のすすめ 〜「私とは何か/平野啓一郎氏著」より〜

個人から分人へ
現在「私とは何か/平野啓一郎氏著」拝読させていただいた。
その中でやはり重要になってくるのが「個人の分人化」という概念である。

学校教育や生徒側のマインドセットに対しても「分人化」というスタンドポイントは非常に大切だと痛感中。
僕は、自分が培ってきた生き方や考え方がが、この著書と全く合致していたのである。だからこそ、自分で選択する「分人主義」をすすめる。

順を追って見ていく。

本当の自分→様々な本当の自分へ
人間は場面によって性格や話し方、相性が変わる。
そしてそれは他者との日々のコミュニケーションによる相互作用でしか生まれない。

その関係性から生じる個人を構成する分人という単位は時間をかけて形成されていく。

個性を構成する分人
個人(個性)は分人の構成比率によって形成されていく。
分人=個人の分数なのである。
分人はすべて自分という個人を構成するものなので、すべての場面における分人は本当の自分であり、分人は人以外の事柄によっても生じる。(読書をしている時の分人、歌を歌っている時の分人など)

「どの分人を人生の足場として生きるか」で、個性に対するその分人の構成比率の影響度が変化し、足場にしたい分人が個性の大半を形作る。

そして学校の友達との分人、家での家族や親との分人は切り離して考えるべきである。そう考えることで人間関係が整理しやすくなるのである。
どの分人との関係を深めていけば良いのか、自分で選択すべきだし、取捨選択できるのである。

個性の足場となる分人構成比率の調整
例えばわかりやすく僕の事例を挙げてみよう。
僕を構成する分人は数多くある

・N高等学校での分人
・所属スポーツチームでの分人
・コンビニ店員との分人(これはある程度共通した誰とでもコミュニケーションの最初に生じる社会的分人、すべての分人が個別で深い分人になるとは限らない←コミュニティ的抽象度の高い分人のままコミュニケーションが終焉,フェードアウトする場合もある。)
・ブロガーとしての分人
・家族との分人

軽く思いつくだけでもこれだけある。自分がどの分人を大切に、足場として生活をするのか考えてみよう。

そうはせずに、自分は1人なんだと考えてしまうと、ある1つの分人での不調が起きた場合に、その他の分人とそれぞれの分人感覚で接するという考え方ができなくなり、他の場面でも悪影響を被ってしまう。
Aで調子が悪くても、Bで調子が悪いわけではないのである。それを持ち越さない方が良い。
「こっちはこっち、あっちはあっち」でいいのである。
大切にしたい分人の構成比率、関わる頻度を上昇させよう。

学校での分人
学校教育の国民への影響力は計り知れず大きい。
だからこそ学校での分人=自分自身にするべきでは、必ずしもない。

「理不尽にいじめられている自分、嫌いな自分」が1つの分人として存在するのなら、他の分人で思い切り楽しめばいいのである。それを家に持ち込む必要は必ずしもない。
そしてあまり生きたくない嫌な分人としての時間をどうすれば極力過ごさないようにできるのか、考えよう。
個性は生まれつき1つではない。個性はその時々の分人が型作る個性の構成比率によって変化していくのである。

しんどいなら、旅に出たっていい。そこで新しい足場となる分人を創造できるかもしれない。

 

 

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