“学校になぜ行かないとダメなの?” を考える/ 学校2.0

日本人の皆さんは、ほとんどの割合で学校に通っている、または、通われていましたよね。

そんな中、誰しもが感じることがあると思うんです。
なんで学校に行かないといけないの?」ということ。

僕は先日こんなツイートをしました↓

このツイートをなぜ書いたのかというと、学校主体で生徒たちを学校へ最適化させようとしすぎるがあまり、1日学校にいる中で、何1つ物事を学べていない子供達がいると思っているからです。

最近思った、「集団授業、学校への最適化が与える生徒への影響」について書いていきます。

学校での勉強における「自分のペースと人のペース」への問題提起をしていきます。

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なぜ学校に行かないといけないのか?
僕はこの質問をされて「これだ!」という答えを返せる教師、友達を僕は見たことがありません。
それはみなさんも同じではないでしょうか?
「協調性を学ぶため、社会に出るために必要だから、とりあえず行っておくべき」など、他の手段で代替できるようなことを主張する人もいます。

僕の結論は「自分でやりたいことを学んでいける人は、無理やり学校(主に小中高)に行く必要はない」です。

IT化、IoT化によって数多くの情報・知識が可視化され、知識を得ることや学ぶことへのハードルがグンッと下がった現代社会において、自分で学べる人はネットを活用して「自分のペースで」ガンガン学んでいけると思います。

ちなみに僕は独学で英語民間試験を勉強しましたが、学校のペースに合わせていたら絶対に達成不可能な目標も多々あります。

というかそもそも協調性や社会性を学ぶにしても、学校って同じ年代の人としか絡むことがないし、それを小学校〜高等学校まで12年間も継続する意味はあるのでしょうか。僕はこの辺りが疑問ですね。

集団授業をする意味はあるのか?
昔は、1人1台スマートフォンを持っているなんて考えられなかったので、みんなで一斉に学ぶことは有意義だったかもしれませんが、今の時代はいつでもどこでも情報や知識のインプットアウトプットが可能です。

そして集団一斉授業の1番のデメリットは「個人のペースを阻害すること」です。
先生の指し示した手順で学べる生徒は1つの教室全体で、「半分いるか、いないか」でしょう。
それぞれ1人1人が学びたいことを学べる環境ではなく、自分がどれだけペースを守れるかの環境になってしまっています。
それぞれ個性や学び方が違う生徒がいることは当たり前なのだから「静かにしなさい!黙って聞きなさい!」と先生がいうのも少し違和感があるんです。どう考えても結果的にそうなってしまう(寝る生徒がでる、内職をする生徒がいる)のは、当たり前だからと思うからです。

全小中高等学校 通信制教育追加策
N高等学校や他の通信制高校では、今まさに謳われている「アダプティブラーニング/Adaptive Learning/個別最適化学習」は当たり前なんです。
ネットを使って、永久保存版の有名講師の授業を受講できて、場所も時間も選ばないんです。

そんな中でも、事実として「みんなと学びたい、勉強したい!」という人は数多くいると思います。
でもそれを全員一緒にやって当たり前、できない奴は落ちこぼれ、とする今の文化はどうなんでしょう。
その生徒が「みんなと一緒に同じペースで学び、落ちこぼれと言われないようにすること」が正解なんでしょうか。

だからこそ、全ての学校独自の通信制カリキュラムを作り、生徒たちに選択肢を与えるべきだと僕は思います。
高校では新しい形のネット完結型の学校が出てきていますが、今後小中学校で導入しない理由はないと思います。

忘れられない学校との過去
ペースを守れないせいで、封印していた感情が爆発し、自殺や悲しい結果に繋がってしまうケースを僕は数多く見てきました。

”大切な仲間がいなくなった日、大切な存在を傷つけられた日も、自分には何もできない。
だって、そこで声を上げれば、自分が叩かれる。どうすればいいんだろう。”

僕はそう思って、ずっと考えてきました。

でも第一線で活躍する方々へのインタビューを始めて、気づいたんです。

“みんな今の学校の在り方が、おかしいと思っているんだ”と。

放課後どれだけネットで個別で勉強しても、明日の朝にはみんなと同じペースで同じ単元をやらないといけない、勝手に進むと怒られる、なんておかしすぎると思いませんか。

集団教育、他者への同調の押し付け化によっての「勉強=辛いこと」という認識
僕の人生で出会ってきた人の中で「学校での勉強=楽しいこと」と言っていた人は数少ないのが事実です。

そして今や「学校での勉強=辛いこと」と認識されていると言っても過言ではありません。

これは、学校が作り出してしまった一種のデメリットかもしれません。
じゃあ、その制度に合わせたペース内容で学習が進められる人以外はどうなってしまうのか?

排除で良いのか?そんなことは絶対にないでしょう。

排除して、無視して授業を遂行してしまうとどうなるか。
ツイートに書いた通り、朝から夕方まで通っている学校で勉強という勉強ができないままの生徒が出てくるんです。自分のペースで学べるはずの大切な時間が無駄になってしまうのです。
自分のペースでやろうと内職をしても、いつ先生に当てられるかわからない、テストに間に合わないとダメになっている現状はどうなんでしょう。

学習の個別的順序と結果
ビリギャルの坪田先生や小林さやかさんを見れば分かる通り、人は基礎から順序よく学べば特殊な例を除いて、誰しもしっかりと内容を理解できるようになるとおもうんです。

だからこそ、全体、教科書通りのペースに合わせるということはデメリットの方が大きいと僕は思います。そして、そのため(個別化)のツールは揃っています。

逆も然りで、めちゃめちゃ勉強ができる人からすると、非常に「ゆっくりで、遅い時間」を過ごすことになってしまいます。
超優等生はもっともっと個別で学習するべきだし、自分が理解している内容をもう1度、しかも学校に最適化されたペースでやる意味はないと思います。

生活や勉強以外まで食い込む集団的活動
体育祭の時、暑い中熱中症で倒れる生徒が出たり、冬は寒いのに着る服を決められることって、一体誰が得をするのかわからないんです。

脳の発達の個別化もそうですが、身体面の個別最適化だって絶対に必須なんです。

単色化して、人を育て上げる制度はもう人口構成的にも、社会情勢的にも時代に遅れています。
というかこれからの社会変化のスピードを考えると、すぐさま柔軟に変革できる組織にしない限り、毎回の社会変化に追いつかない、間に合わないと思います。

じゃ、僕たちはどうすれば良いか
学校のペースで学ぶことが億劫な人は、フリースクールや個別塾に行くべきだと思います。
そしてその選択は、合わない人にとっては正しいんです。もしかしたらフリースクールも必要ないという人もいるかもしれません。

何も考えずにただ学校にみんなと一緒に嫌でも通っているよりは、その方が絶対に自分の将来に役立つと思います。

僕も今、N高等学校で個別学習を進めていますが、快適極まりないんです。この感覚を共有したい。

やっぱり合う人、合わない人が世の中にはいるので、行き過ぎた学校への最適化を生徒たちに提供することはよくないと思います。

違うのは当たり前だから、それぞれが選べる選択肢を用意しよう!

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