「教育」の原義とは

 「教育」という言葉を聞いてポカーンとする人はいないと思います。教育とは、少なからず現状の日本では大半の人が通る道であり、皆が共通して体験するものです。「スポーツ」と聞いて、やったことない!と答える人はいても、「教育」と聞いて、受けたことがない!という人はあまり存在しないのです。

 しかし、それは裏返せば、教育が私達人間にとって非常に肝要な役割を果たしているとも言えるのです。本記事では「教育の原義(本来の意味)」を考えていきたいと思います。

 

「教」と「育」の紐帯的関係性

 「教える」という言葉と「育む」という言葉は一見異なるものに見えます。しかしながら、その歴史的系譜を読み解くと、両者の持つ深い関係性が浮き彫りになってくるのです。

 日本語としての「教育」という言葉が広く一般的に利用される様になったのは、明治時代の初期、箕作麟祥(みつくりりんしょう)という当時は幕臣・官僚・法学者・洋楽者など多数の職業を複業していた人物が、大英帝国(イギリス)で刊行された『百科事典』の項目にあった”education“という欄を拝読し、踠(もが)きながらもなんとか「教育」と翻訳した時まで遡ります。

 当時の日本では、蘭学や洋楽が市民的憧れの象徴とされ、多数の翻訳者・有識者が肩を並べて一所懸命に「外国語から日本語」への翻訳・解釈を進めました。この箕作麟祥も、当時から著名な福地源一郎や福澤諭吉らと共に英文外交文書の翻訳に従事したそうです。箕作は結果的に英語、フランス語、ドイツ語などを習得しますが、やはり、現在の日本に残る言葉の大部分は明治維新の時期に、先進的な言語や文化を吸収した学識人によって生成されたものだと言えるのです。そして。「教育」もその中の一つだという事です。

 

educationをどうやって教育と解釈したか

  ある文献によると、当時の箕作は「education」という言葉に「教」だけでもない「育」だけでもない、何か特別な意味を感じ取ったと伝えられています。確かに明治維新以前の江戸末期までも「教化(indoctrination=特定的思想や価値の体系を無批判に他社へと教え込むこと)」や「教導(教え導くこと)」などの単語が使用されてはいましたが、箕作はどうしてもその中に「education」を当てはめることができなかったのだと云われています。

 箕作やその他大勢の学者は当時、様々な言語や言葉が輸入され、それらをどの様に翻訳すべきかに悩みあぐねていました。「education」もその一つで、苦労に苦労を重ねた結果、最終的に「教育(きょういく)」と訳されたのです。

 

なぜ「教育」か

 ある仮説・仮定によると「教えるという営為は、育むという営為を随伴せねばならず、そうでないと成り立たない」、或いはその逆で「育むという営為は、教えるという営為へと開かれているべきであり、そうでないと成立しない」と箕作が結論付けたではないかと云われています。

 そして更に「子供に何かを教えるという事は、その子の『いのち』を育む営みであり、逆に言えば、ある子供の『いのち』を育むとは、その子に何かを教えるという世界に結実しなければならない」とも伝承されています。

 重要なのは、「教える」と「育む」は一方的な欠落を許さない密接不可分な紐帯的関係性にあるということです。箕作が「教と育は分化不可能である」と考えたからこそ、その両方を利用した「教育」が造語として創造したのだと云われているのです。

 

educationの本来的語義

 ここで、educationの本来的な語源について見ていきます。

 かの有名な『オックスフォード英語辞典(Oxford English Dictionary. 2nd ed.)によると、「education」という単語が記載されている欄の最初には「栄養ある食物を与え、いのちを育むこと」、又は「飼育・栽培をすること(nourishing/rearing)」という風に記述されています。

 そして2つ目に「教え、訓練すること(instruction/schooling/training)」と書かれています。

 「education」を一層と深く掘り下げると、元来的なラテン語の「educo」というverb/動詞に辿り着くきます。この後はのちに「educere(エデュケーレ=引き出す)」と「educare(エデュカーレ=養いつつ育む)」に分岐的に派生します。そして最後に「educate」という動詞が誕生しました。

 ラテン語の語源を調査すると、教育(education)という単語には、栄養あるものを提供して育成するという古来的な意味があり、その後、内部的なものを外部へと引き出すという「educere」、或いは、養いつつ育むという語義の「educare」に分化しつつ、最終的・究極的な統一体としては「educate(育みつつ教える)」という概念に転化したことが理解できます。

 それでは、ここから見えてくる「教育という言葉の有した共通性」とは何なのでしょうか。

 

教育 = いのちを育みながらケアし、その発達を援助する

 これまでの話を踏まえて理解できる、ラテン語や英語、さらには日本語にも共通する「教育という言葉の持つ内在的共通性」は、いのちを育みつつケアを行い、その発達を援助するということです。

 この記事で深掘りした「教育という営為の原義」が示唆するものは、教育とは「人類(人間)のケア + 育成(育み)」のセットであり、それに付随した胚胎的な教養への導きが存在しているという事です。

 教育の原義はたった一言、「生命のケア・保全と育成を基盤とする人間発達の援助」だったのです。

 


 今回は「教育の原義」について学びました。次回は「教育の多面性」を学びます。

参考文献:『問いからはじめる教育学/勝野正章・庄井良信』、Wikipedia

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miyabi_kyosaka
教育実践キュレーター。慶應義塾大学在学中。NPO法人日本教育再興連盟ROJE所属。読売新聞学生記者。日本若者協議会所属。某 AO入試専門塾講師。N高等学校出身。|「未来は予測するのものではなく、この手で創る」をモットーに圧倒的行動で教育を一新しようと、教育ジャーナリズムの活動をしております。