「学校教育と英語学習の未来」本間正人副学長/京都芸術大学 インタビュー ❶【学校の存在意義とは】

インタビュー記念写真

 京都芸術大学の本間正人副学長に「学校教育と英語学習の未来」というテーマでインタビューさせて頂きました。

 全4回に分けて紹介する本間先生とのインタビューで、今回は第1回目です。※このインタビューは2019年に行われたものです。


〜 本間 正人(ホンマ マサト) プロフィール 〜

「教育学」を超える「学習学」の提唱者・東京大学文学部社会学科卒業、ミネソタ大学大学院修了(成人教育学Ph.D.)。京都造形芸術大学教授・副学長・NPO学習学協会代表理事・NPOハロードリーム実行委員会理事。「楽しくて、即、役に立つ」参加型研修の講師としてアクティブ・ラーニングドリームを25年以上実践し、研修講師塾を主宰する。ミネソタ州政府貿易局、松下政経塾研究主担当、NHK教育テレビ「実践ビジネス英会話」「三か月トピック英会話:SNSで磨くアウトプット表現術」の講師などを歴任。TVニュース番組のアンカーとしても定評がある。一般社団法人大学イノベーション研究所代表理事、アカデミックコーチング学会会長、一般社団法人キャリア教育コーディネーターネットワーク協議会理事、一般財団法人しつもん財団理事などを務める。

本間正人先生Twitter:learnologist
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 今回から、教育のICT化や世界の教育界の潮流に出遅れてしまっている現在の日本的学校教育の問題点、加えて、本間先生の提唱される最新学習歴やアクティブラーニングについて学んでいきます。この記事を機会に、あなたが日本の教育について考え直すキッカケとなれば幸いです。ではいきましょう!


Miyabi

本間先生は日本の学校教育についてどう感じますか?



本間副学長

そうですね、その答えの前に、まず学校の起源を遡ると…

そもそも学校がどうして生まれたのかというと「多くの人々の読み書きや数学などの基本的な能力を高めることが、社会全体の発展に繋がる」というニーズがあったからです。

その時代にはコンピューターもなければ、タブレットもなければ道具が発達していないので、黒板とチョークと紙の教科書を使って、教室で一斉授業を行なうということが合理的でした。
その中では「最低基準/ミニマムスタンダード」をクリアすることが社会的な養成でした。
特別できる子を排出するというより、やはり当時は「底上げ」が大切でした。「底上げ」ということになると、そこには画一的な基準があって「誰もが算数の九九が出来ないといけない」「漢字は1800文字くらい読み書き出来ないといけない」という設定が合理的でした。


Miyabi

画一的な教育が行われていたんですね。

 


本間副学長

そうですね。

そして、僕は今年もうすぐ60歳になります。

しかし、時代が急速に変わっているのにも関わらず、僕が小学生だった頃の教室と今の教室はほとんど変わっていないのです。

社会の他の世界では、みるからに形も機能も変わっているのに、学校の教室だけはまぁ見事に旧態依然たるものが残っています。

薄型テレビの導入や冷房、教科書のカラフル化など多少の変化はありますが、全体的にはほとんど変わっていません。


Miyabi

確かに…(泣)

 


本間副学長

そうなんです。

目に見えない世界で、教師の心の構えといいますか、やはり各教科を「教師が」教えるわけです。

学校というネーミングは「学ぶところ」と書いてあるわけです。
ところが校門をくぐると、「教室があって、教壇があって、教卓があって、教師が教科書を使って各教科を教える」という教える側の都合で全て成り立っているわけです。

学習指導要領というけれども、あれは教え方マニュアル、ガイドラインであり、学習者の都合はほとんど考慮されていません。

一番ひどいのが「小1プロブレム」と言われるもので、小学校1年生2530人をひとクラスに入れます。
その中には小学校45年の算数・国語・英語が出来る人が居たり、かたや集団行動が出来ない子も居るわけです。
その2030人の大きなばらつきを1人の先生がみるということは、どう考えたって無理なわけです。


Miyabi

無理ですね。

 


本間副学長

はい。

そういう理に叶わない仕組みがまかり通っていることが現代の学校の現状であるわけです。
過去には合理性があった仕組みが、現代社会においてすでに前提条件が崩れているにも関わらず、僕から言わせると教育学的な発想が存続していて、教える側の都合でシステムが構築され、それが全くアップグレードされていないのが現状です。

例えば学校でいう時間割の「月曜日の一時間目が漢文、二時間目が物理、三時間目が英語、四時間目が生物」などは「全ての学校に全教科の先生をフルタイムで雇用するため」には合理的な仕組みです。ネット授業のような遠隔で授業を行い、その単元が1番得意な先生が授業をするという「バラ売り」ではなく、「アルバムで」買うしかないわけです。今はiTunesで楽曲ごとにバラ売り、バラ買い出来るわけです。しかしその学校に入ると「この生物の先生、この現代文の先生、この漢文の先生」というものがセット売りになっていて、そのセットを買うしかない仕組みです。


Miyabi

今の日本は「バラ売りの教育」ではなくて「アルバムの教育」を売ってしまっているわけですね。

 


本間副学長

その通りです。

情報通信技術や、交通手段が発達していない時には全教科の先生を揃えておくことは合理的だったかもしれませんが、今やその前提は崩れていて、そのように行う必然性は一切ないわけです。スタディサプリのように先生が選べて、学習者の側が自分のニーズと学習スタイルに合った形で、学び方や学ぶコンテンツを選べることがより望ましいですね。

その中では「同調圧力、画一的な思考」は限りなく少なくて良いのです。

 

②次世代の学校の機能・役割

 


本間副学長

そして、唯一学校が残る理由があるとすれば、今の世の中ホームスクーリング、ネット授業で高校卒業認定試験も実際のところ受かるのですが、その人達が何らかの形で将来社会人に成っていった時に「他の人とのコミュニケーションが取れない、チームワークが上手く発揮出来ない」となると、生きていけないことはないですが、職業選択や人生の選択肢の幅が限りなく狭くなってしまいます。だからこそ「社会性の涵養」というのが学校に残された唯一の機能だと僕は思っています。アクティブラーニング/ALやプロジェクトベースドラーニング/PBLなどの他の子とチームを組んだりグループワークをすることが、多くの子にとっては役に立つプログラムだと思います。

当然、何でもかんでも万能ではなくて、それも苦手な子も居ますし、その子達にはハードルを下げてあげることが大切です。


Miyabi

社会性・協調性などの部分をどの様に育んでいくのかですね!

 


本間副学長

アクティブラーニングが押し付けになって「やりたくもないことをやらされて、先生の自己満足」では、およそアクティブでも何でもなく、本末転倒です。

ただ全体としてはアクティブラーニングは望ましい傾向だと思いますし、キャンパスや教室を持った学校の存在意義があるとすれば、そこだと思います。逆にそうで無い部分はいくらでもe-Learningで代替出来ると思います。


Miyabi

今までの学校教育は、現代においてほとんどメリットがないのでしょうか?

 


本間副学長

んー。。。

あ、そうですね。学校の教室というものが「思い出の源泉」になったりもします。

合う合わないもありますが、合った人にとっては学校が統廃合になってなくなるのは非常に悲しいことです。

その人にとって学校は心のふるさと的な部分もあり、忍耐力や我慢強さを涵養する場であったり、味わいのある先生がいて面白い授業をしたり、同年代の子と部活をしたりということが合っていた子達には機能していまたのかもしれません。

だからこそ全面否定する必要はないけれども、公立の小中学校の場合には、地域の中で選択肢がゼロなわけです。


Miyabi

ふむふむ。

 


本間副学長

所得があれば面白い私立の学校やオルタナティブスクールに通うことが出来るけれども、所得がそこまで高くなければその選択肢はありません。好む好まざるに関わらず「はいこの学校、この先生」という風に全く選べないことは不自由ですね。


Miyabi

学校とは、管理者の都合で作られたシステムなんですね。

 


本間副学長

そうとも言えるでしょう。

まぁ高校はそこまでリジッド(厳しい状態)ではないのでオルタナティブスクールや補習校、通信制高校の生徒数が急上昇しているのは、そういうことが顕在化しているのだと思います。

実は小学校や中学校も、通信制を作ればあっという間に生徒数が増えるに決まっています。しかしその部分にはハッキリ言って、利権の構造があったりもします。


Miyabi

り、り、り、り、利権!?

 

これからの時代に向けた知識・常識のアップデート


本間副学長

更に言うと、紙の教科書なんて検定制度があるせいで、最短でも現状から「3年」遅れるのです。企画して書いて、検定して書き直して印刷して全国に配る。昔は知識の半減期が数千年であり数百年だったので、3年遅れの情報も誤差の範囲でほぼ最新と思われていました。

現状、3年前のアメリカ合衆国と今のアメリカ合衆国は別の国なわけです。3年前中国はここまでキャッシュレス社会になっていないのです。3年というのは現代においてもの凄く大きな期間なのに、いまだに紙の教科書から抜けられないのは教科書検定制度に既得権益がある人たちが動きたくないからかもしれません。


Miyabi

今年2020年度からのプログラミング必修化についても同様で、プログラミング言語はもっと早いスパン(期間)で更新されていきますよね。

 


本間副学長

その通りです。

3年前のスマホと今のスマホとスペックは、全然違うわけです。これが5Gになると「え?LINE世代の人達は文字情報でやり取りしてたんですか?ダセェー」となります。5Gになると腕時計にホログラフィックな映像が出てフェイストゥーフェイスのコミュニケーションに近くなり、メガネをピッと触るとヴァーチャルな映像が見えてという風になります。そんな時代がもうすぐそこまで来ているわけです。

時代の変化を見通していかないといけない。

教科書の中に正解があって、それを先生から生徒に移転するというモデルは行き詰まっているわけで、教科書の中に書いてあることはどんどん陳腐化していくわけです。特に理科と社会は。

 

④最終学歴→最新学習歴へ


本間副学長

だからこそ学び続けることが絶対不可欠で「最終学歴」ではなく「最新学習歴」が大事だよという話になるわけですよね。

「学校に行くことが辛く悲しく苦しいこと」で「はやく学ぶということから卒業したい。ピリオドを打ちたい」となり、最終学歴で区切りをつけてしまわないように「学びは楽しいこと、喜びなのだ」ということこそ、学校は伝授すべきです。

楽しくない学校は本当に本末転倒なのです。

論語の1行目は「学びて時に之を習う、亦説ばしからずや。」

2行目は「朋遠方より来る有り、亦楽しからずや。」です。

「学ぶことは喜びだ」「人との出会いは楽しい」ということが学習の原点で、2500年前に孔子先生がおっしゃっています。

「学ぶのは辛く悲しく苦しいこと」で「最小限のことを我慢してやらないといけない」

「人との出会いは、いじめやからかいなどの嫌なものだ」という流れは学習の原点を逸脱してしまっていると思います。


Miyabi

確かに僕も、中学1年の頃に担当だった理科の先生の授業がつまらなさすぎて、1年間はずっと理科が嫌いだった思い出があります笑

 

⑤人間は生まれながらのアクティブラーナー


Miyabi

本間先生は、アクティブラーニングの目的を「人間は本来アクティブラーナー(能動的な学習者)だったと気づくこと」と方々で仰っていますが、僕の例で言うと、1つ追求したい事を持っていると他の分野でもその追求力を横展開したりできたりしています。しかし今後、アクティブラーニングが自己目的化して、学校から「興味のない分野でもアクティブラーニングをしろ!」と強制されると、折角子供たちに芽生えそうな「物事を学ぶ意欲」に蓋をしてしまうのではないかと危惧してたりします。その辺りはどうでしょうか?

 


本間副学長

その点に関しては「気づく、再確認する」ことがまず大切で、人間は生まれながらにしてアクティブラーナーで、赤ちゃんがオギャーと生まれてからすぐ色々なものを触ったり感じようとしたりするのは学習行動なわけです。

決して赤ちゃんがオギャーといって「対話的で主体的な深い学び」をやっているとは思いませんが、アクティブラーナーであることは間違いありません。

アクティブラーニングで得た気付きとか学びを誰かとシェアする、分かち合うことは非常に有効なことですが、それが学校の中に限られる必要もないと思います。

学校の中にちょうど良い指導者がいて気の合う仲間がいればそこで交流すれば良いですが、必ずしも世の中の学校が全てそういう状況になっているとは言えません。

Twitterの先に、Facebookの向こうに一番「そうだね!いいね!」と言ってくれる人が居ることも多いにあることだと思います。


Miyabi

学校という枠に縛られずとも、自分の学びを共有しようという事ですね!


本間正人副学長 京都造形芸術大学 インタビュー 「学校教育と英語学習の未来」の第1回目はここまでです。

次回の第2回では、これからの教員に求められることや、教育における人格の重要性について、本間先生の意見を伺います。

最後に改めて、本間先生のSNSアカウントを記載しておきます。本間先生は、ご自身の豊富な見識を基に非常に役立つ情報を発信されています。ぜひ覗いてみてください👌

本間正人先生Twitter:learnologist
本間正人先生Facebook:masato.homma

次回の記事もぜひご覧ください!ではまた!

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miyabi_kyosaka
教育実践キュレーター。慶應義塾大学在学中。NPO法人日本教育再興連盟ROJE所属。読売新聞学生記者。日本若者協議会所属。某 AO入試専門塾講師。N高等学校出身。|「未来は予測するのものではなく、この手で創る」をモットーに圧倒的行動で教育を一新しようと、教育ジャーナリズムの活動をしております。