【海外旅行自由化 ~昔は一部の人しか旅行できなかった~】サクッと雑学思考

 雑学紹介シリーズ雑学思考では、雑学を単なる雑学で終わらせず、既存知(知っていること)とを自分独自で「統合」し、「思考」するプロセスを重視しています。学校や塾の授業で使ってみてね。知って終わりを卒業し、知って・・・知って・・・もっと知って・・・・・・、最後にメチャメチャ考えよう!


 今回は海外旅行自由化という、一見すると突飛な話題を扱っていきます。海外旅行って自由に出来るものでしょ、皆自由に飛び回ってるじゃんと思うあなた、まだ甘い。日本国内では海外渡航に関し、政府も大々的に関与した許可制を採用していた時期もあったのです。

Ⅰ 海外旅行が自由に行けない時代 〜いや、海外行けへんってどういうことやねん!〜

 時は1964年昭和39年です。当時の日本人はまだ、一部の人しか海外に出向くことが出来ませんでした。例えば、正式な企業などによる業務委託で海外に渡航する必要がある時や、政府主要機関の海外視察語学留学研究留学などの特別な事由に限り、海を渡ることが許可されていたのです。社会的地位の高い人々は特に渡航しやすかったと言います。

 当時の日本国はGHQという米国の最高司令官をトップに、その組織の意思決定に全面従属する必要がありました。しかも、当時の日本は軍国第一主義軍隊権力が婉曲化して異様に力を持つなどという国家的な権力構図の危機に陥っていたので、GHQ側の内部統制はいつにも増して峻厳なものだったのです。

 そして1963年、その年の春(厳密に言えば4月1日)にやっとのことで、現金トラベラーズチェックによる年間総額外貨500ドル以内の職業や会社などの個別的な都合に関してのみ、海外出航が一般化されました。しかし、その際にもやはり、旅行代理店を介した逐一の許可が必要不可欠でした。この時代は、やはり束縛が多いのです。現代人にとってはソクバッキー(色恋沙汰でやたらに束縛をする人)とも言えますね。

 年間総外貨500ドルってどういうことやねん!と思う方もいらっしゃるでしょう。なので念のため説明しておきます。当時の日本人が勝手気ままに海外を旅行することが出来なかった事実は先述した通りです。しかし、それに加え、所持金持参金と呼ばれる持って行けるお金も内部から統御されていたのです。その500ドルは基本的にホテル代や現地の観光手配料金に充当されます。

 ですが、現代社会でも数多の殺人事件が発覚し、いつなんどきもルール違反者が存在するように、当時もヤミドルという呼称のもと、上限料金を巧妙な手口でカサ増しし、公正な為替取引レートであった「1ドル=360円」を棄却する人も現出してします。彼らは「1ドル=400円」の価値を保有したまま、持参出来る上限金額の500ドルを優に超えて持ち運んでいたのです。ヤバイ、その勇気がヤバい。

Ⅱ 本格的な海外旅行自由化 〜日本人ってやっぱり日本人だなぁ〜

 前年から一部の人々が容易に海外に出向けるようになった風潮を踏まえ、1964年、遂に一般市民が職業上の理由や会社側の都合に関係なく、自由気ままに単なる観光旅行として飛行機に乗ることが承認されたのです。パチパチ。晴れて解放されたぜ!って感じですね。。

 1964年にはまだ年間総額外貨500ドルの規定は改正されませんが、1966年には「1人年間1回限り」という、どんな計量分析をしたらその数値が算出できるのか現代人には疑問符が残りまくりですが、一応の一億総旅行社会に移行していきます。その後は物見遊山的な(気晴らしにどこか行ってこようかな的な)海外旅行スタイルが流行化していきました。いや、コロナ禍でこんな話するなよって思うでしょうけど。

 この時代の旅行産業で、非常に日本的だなぁと思うポイントがあります。それは、海外渡航直前に、海外とはこういうものである、こういう作法を身につけろ、という旅行会社独自のマナー研修会が開催されていたところです。面白いですよね。

  当時、第一陣として羽田空港を出発した飛行機には、男女計16名が搭乗しており、17日間異国の地を嬉々として楽しみ続けたようです。国としては、イタリアフランスデンマークなどの周遊し、飛行機の離陸時には「第1回 ヨーロピアン・ジエツ」という大々的なポスターとともに送り出される温かい歓迎だったそうです。これまた日本人的ですね。

 しかしながら、当時の日本人はまだ海外情報に疎く、現在では想定出来ないようなマナーで海外の外国人たちと接触し続けたようです。特に、現地の高級レストラン三つ星ホテル等の高潔性や高尚性を渡来者に要求する文化に馴染めず、それらの商業施設の管理人、経営者から非常に忌避されていたそうです。

 物品が枯渇していた戦後日本社会ですから、当初人々は海外の免税店スーパーに集中殺到し、日用品から娯楽品まで一気に購入したそうです。代表的なプロダクトは、タバコ、香水、洋酒などでした。1956年経済企画庁が創書した経済白書で「もはや戦後ではない」と銘打って公表された日本の経済的好況も交えると当然の行為だったのかもしれませんが。今は中国という超大国に日本が喰われている逆進的な状態ですがね。

Ⅲ 旅行産業の今と新型コロナウイルス感染症の事況 〜危機とは、「危険」と「機会」の混淆か?〜

 最後に少し、現在の海外旅行に関するインプットとして、新型コロナウイルス感染症の負の影響を中心とした世界情勢と各種統計分析、ランキングを照合してみましょう。

 法務省出入国在留管理庁の速報値によれば、2020年12月現在の日本人出国者数は3ヶ月連続で前年同月比-98.1%で推移しています。これはあり得ない数値です。98%も海外旅行者数が日本で減少しているのですから。異常事態以外の何物でもありません。しかし、過去の歴史を知る我々は、海外移住や海外旅行が不可能な時期に日本人がどのような日常生活を営んだかを鑑みることも重要でしょう。

 現在の日本政府(2021年2月現在)は、新型コロナウイルス感染症の英国南アフリカにおける変異株出現、国内向けの緊急事態宣言発出を交え、帰国者を含む全入国者に対し出発後72時間以内のPCR検査陰性証明を義務付けています。数値を統計グラフで参照すれば早くも愕然としますが、2019年以前は毎月大体150万人〜200万人程度が海外旅行者として対外に出港、飛行していた時代もありました。

 日本旅行業協会(JATA)が主要に関わっている海外旅行先トップ50(受入国統計分析)によれば、米国中国シンガポール等が枢要なポジションを確立しています。米国や中国を鑑みれば一目瞭然ですが、両国とも新型コロナウイルス感染症による大打撃を被っています。主要旅行先がそもそもロックダウンを平常的に遂行する時代情勢では、行こうにもにも、受け入れ態勢が貧弱なため、誰も行けない状況なのです。

 観光業、旅行産業、ホテル業、飲食業、仲介会社業界はどこへ向かうのでしょうか。未来を見据えた熟考が私たち市民にも必要となるのです。

【シンキングタイム】

江戸時代鎖国状態では当然旅行なんて行ける人は圧倒的な少数派でしたし、国外追放者以外は基本的に出国禁止でした。でも今は、インターネットサービスが各種豊穣なリソースとして存在しています。あなたは海外情報を獲得するためにネット新聞記事等を拝読しているのでしょうか。それとも、もう海外とは関わる必要がないのでしょうか。

⑵ 昔は海外旅行に自由に行くことが出来なかったのは理解出来たけれど、本当の真相としてGHQが意図した事柄は「軍部的な暴走化・暴徒化」の事前防止だったのだろうか。他にも海外情報統制や内密的な裏舞台があったのではないだろうか。

三つ星ホテルに批判を喰らったほど無礼で下劣な行為を日本人が1960年代に連発したと言っていますが、事前講習やったって言ってましたやん、という矛盾をあなたはどう考えますか。事前講習のクオリティチェックは正確だったのでしょうか。

⑷ あなたは海外に出向く時に何を基準に選定しますか。その基準はなぜ採用されたのですか。周囲の人とディスカッションしてみると、意外と「〜さんの価値観や世界観」が理解出来るかもしれません。

⑸ 当時の海外旅行事情を知る地域住民の方や学校先生に、500ドル資金の中で何を購買し、どこに宿泊したのかを聴取したり、ウェブ記事で検索してみましょう。当時の実際の相貌についての第一次情報を獲得出来るかもしれません。自分の肉眼や肉耳で見聞してみることが大切です。

【補足】

1966年に一般庶民が全般的な海外旅行を実現できる社会になった時、市民たちは事前準備として外務省旅券交付申請係旅券を入手する必要性がありました。トラベルコとか、じゃらんとか、Expediaとか高利便性のウェブメディアのない時代の旅行、逆に追体験してみたいですね。
1965年には日本初の海外旅行パッケージツアー『JAL Pack』が販売開始されます。第一陣のハワイ旅行9日間37万8000円、ヨーロッパの16日間67万5000円で、当時のサラリーマンの平均初任給が2万円程度、全国の平均月収が6万円程度だった状況を顧みると高額過ぎますね。
1970代頃にはアメリカ合衆国が開発したボーイング747型、いわゆるジャンボジェット機が日本に輸入され、就航します。その影響により旅行代金が大幅値下げ可能となり、海外旅行の全国的な第1次ブームが到来しました。

参考文献:『海外旅行者のトップ50(受入国統計) / 一般社団法人日本旅行業協会』『海外旅行 / Wikipedia

筆者:Masaharu Sumida @miyabi_media

 

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