Life is Tech ! 讃井康智取締役に「21世紀のICT教育とプログラミング」についてお話を伺いました。
プログラミング業界、教育界のフロントランナーが考えるICT教育とプログラミング教育の理想像とは何なのかに迫ります。
今回は前半記事【上】です。
近年の教育界の動向は目まぐるしく、高大接続改革やプログラミング教育の導入など様々な改革が行われています。
しかし、改革の理想像のみならず、日本の教育の現状の課題、そして今後起こるであろう問題に対して、子どもや教師、保護者がどう向き合っていけば良いかを知ることは非常に大切になります。
今回の前半記事では、昨今のICT化に遅れを取る日本の学校教育、プログラミングとICTに絞って話を進めていきます。
(本取材はコロナウイルス拡大前の昨年のうちに行ったものです)
〜 讃井康智(さぬい やすとも) プロフィール 〜
Life is Tech ! 白金高輪本校にて
讃井 康智(ライフイズテック株式会社 取締役)
1983年福岡県出身。東京大学教育学部卒業後、リンクアンドモチベーションで勤務した後、東京大学教育学研究科にて博士課程まで在籍。教育政策・学習科学が専門。学習科学の世界的権威、故三宅なほみ教授にも師事し、全国の学校・教委での協調的・創造的な学びづくりを支援。2010年にライフイズテックを創業。累計4万2千人が参加し、中高生向けIT教育サービスでは世界2位まで成長。ディズニーとコラボしたテクノロジア魔法学校や学校向けLife is Tech ! Lessonなどオンライン教材も提供。NewsPicksでは教育領域のプロピッカーを務め、THE UPDATEなどにも出演。地方と首都圏の「可能性の認識差」を埋めるべく全国を奔走中。
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Contents
① オルタナティブな学びの場を創ろう
② 学校も人も変化し続けることが大切
③ テクノロジーで新しい未来を創造しよう
④ 小学校プログラミング必修化の功罪
ーー IT・プログラミング教育を専門に扱うLife is Tech ! の讃井さんは、日本の現在の学校教育についてどう考えていますか。
讃井
私は元々の専門が「教育行政」や「学校経営」にあることもあり、自分の今までの経験や研究からすると「学校教育が一重に悪い」とシンプルに語るのは違うなと考えているタイプです。
今の学校教育を全てガラガラポンで変えるというよりも、一つはN高等学校やLife is Tech ! など課外の場も含めたオルタナティブな場を新しく作ること、つまり選択肢を増やすことができれば、まず良いのではないかと思っています。
普通科高校に行って大学受験をするということは選択肢の一つに過ぎないのに、さもそれしか存在しないかのようになっていることがすごく問題です。
本来は多様な選択肢があるのだと認知してもらうことが大切であり、制度的にも沢山の道を作ることが大切であると思っています。
なぜかというと、学校教育であり教育の究極的な使命というのは「その個人が幸せになれるかどうか」や「個人の集合体としての国や地域、コミュニティが良い方向に向かうこと」だと考えているからです。
一人ひとりが幸せになることを学校教育の究極的なゴールであると考えたときに、やはり一つの制度や一つのやり方で全員を幸せにすることは無理な話です。
なので、制度やテクノロジー面も含めて、個々の幸せを最大化できるようなきめ細かい対応が大切だと考えています。
そのために、まずは学校の種類や特色分けの時点で、様々な選択肢を用意することが必要だと思います。
Life is Tech ! 白金高輪本校にて
もう一つは、学校にいる先生や学校の力を私が信じている部分もあります。
凄く新しい学校を創ることも必要ですが、今の学校制度の中でできることもたくさんあります。
例えば、今の公立学校が、校長先生の提示する理念や学校経営の仕方をキッカケに大きく変化した事例もあります。
私自身もフィールドに入り、各学校現場の課題をアクションリサーチしていく中で、先生たちが変わっていく姿を沢山見てきました。
今いる先生たちを悪く言って否定するのではなくて、今いる先生たちの力を引き出すアプローチが取れれば、学校をアップデートできるし、先生たちも更に力を発揮できると思います。
ただ、そのような変化を実現するための絶対条件は「子どもたちの幸せを一番大切にすること」です。
その思いがあるから、時代や状況に合わせて変化することができる。
逆に、子どもたちのことを全然見ようとしていなかったり、なんとなく免許を持っているからという理由で教員を続けているような人には、申し訳ないけれども教育の場から去って欲しいとも思います。
ーー 現在、私たちの生活や労働環境は急速に変化しています。そんな変化の激しい時代において、今後、教育や学校の社会的な役割はどのように変化していくと思われますか。
讃井
一見、学校教育は不変的なようで、歴史を追っていくと本来はその時々において変わってきています。
私は、今までも学校は変わってきたし今後も変わっていくという前提を持っていて、教育や学校の社会的な役割は変化し続けるという前提に立っています。
学校の先生たちも10年に一度は学習指導要領の改定があるわけで、変化があることをわかっています。
ただ、この20年の学校教育に1つ問題があるとすると、物凄く変化が多く、さらにその変化がどうなっていくか予測できないVUCA(volatility・uncertainty・complexity・ambiguity)とも言われる時代において、学校の変化のスピードが社会のスピードに全く追いついていないことです。
学校教育がどう変わるべきかを考えるよりも先に、まず社会がこれまで以上に物凄いスピードで変化しているということを先生や保護者が認識し、それぞれがその変化に対して自分自身を適応させていこうとすることが大事です。
組織論の話にもなりますが、どう変化すればいいのかに対する具体的な答えがあることより、組織や人自身がどんな変化にも適応していけるようになることが一番大切です。
それさえできれば、どのような変化に対してもすぐに対応できると思います。
ーー 正解のない世の中では、先生や保護者も変わり続けないといけないのですね。
讃井
先生や保護者もそうですが、生徒も20世紀の旧来的な教育の生徒像を役割演技してしまっている部分があると思っています。
つまり、先生が前に立って一人で話をすることやそれを黙って聞くこと、さらに宿題が提示されることを待っていて、当然家でやるものだと皆思ってしまっているんです。
Life is Tech ! では、メンターと呼ばれるスタッフ5〜6人が子ども1人に対して付いて、基本的には子どもたち自身で教科書を見ながら学び、分らない時だけ質問してもらいます。そして、その質問に対してきめ細やかにメンターが対応するスタイルをとっています。
それは受け身で黙って聞いていれば知識が入ってくる学校とは違い、自分で教科書も読んで開発を進めないといけないし、自発的に質問する意思を示さないとメンターも気付かない可能性があります。
もちろんメンターの側は手を挙げずとも、質問したいという意思に気づけるよう配慮はしますが、やはり自分から伝えてもらいたいと思っています。
そんな時に、これまでの学校の学び方に慣れた人がLife is Tech ! に初めて来ると、メンターのことを「先生」と呼んで、「答えを教えてくれるんですよね」と考えてしまうリスクがあります。
しかし、Life is Tech!では学校のように一斉指導で答えを教えるようなことはほぼないので、「この空間はどうなっているのだろう」とびっくりしてしまうかもしれません。
「隣の人に聞くのもちょっとなぁ」と遠慮している人でも、本当は全然隣の人に聞いてくれて構わないし、隣の人を覗き込んでも良いんです。
聞きたいことはどんどん質問して良いし、私たちメンターのことを先生ではなく「〜ちゃん!」とあだ名で呼んだって良いんです。これがLife is Tech ! の学びの文化です。
先生だけでなく、学校の文化で生まれ育った生徒や過去の教育を受けてきた保護者も20世紀の古い教育観にとどまるのではなく、変化しなければいけないと思います。
教育観や学習観が変化していけば、自ずと、その時代の社会に適応した教育や学習の状態になっていくと思います。
ーー 現在、教育へのICT活用が段階的に進行しています。そんな中、ICTの活用が教育に与える最大の付加価値とは何でしょうか。
讃井
ザックリした言い方をすると、テクノロジーが子どもたちの可能性の広がりブーストするようなイメージです。テクノロジーがあることでできることが増えるわけです。
一人一人に対する細かい対応に関しては、AI自動型教材で個別の弱点に合わせた問題を出すことがすでに可能になっています。
スマホで見る動画教材にしても、自分の好きな時間に好きな場所で勉強できることが可能になっています。
それらによって、例えばこれまで100時間かかっていた勉強が80時間に短縮されるようなことが起こっています。
Life is Tech ! では既存教科の効率化ではなく、プログラミングや映像や音楽の制作など今までになかった領域でデジタルなモノ創りができます。
そして創るだけでなくそれをインターネットで発信したり、もっと作りたい!と思った時に、インターネットのクラウド上にある様々なナレッジと繋がることによって、学ぶこと・創ることを続けることができています。
つまり、ネットの世界が子どもたちの能力や可能性に物凄いブーストをかけてくれています。
私が高校生の時代には、大学である程度勉強してゲーム会社に入り、その会社の特別な環境の中でしかゲームを作って発信することはできませんでした。少なくともみんながそう思い込んでいました。
しかし、それから20年近く経っている今は、家にいる中高生も頑張れば1年とかからず世の中にゲームをリリースして何万人もユーザーが付くような状況が、実際にできる環境になっています。
一見するとICTやEdTechは、既存教科の個別対応と効率化だけだと思われがちですが、実は今までになかった「子どもたちの可能性を拡張する」ことの影響が一番大きいと考えています。
ーー 教育におけるビックデータの利活用に関してはどう思われますか。
讃井
ビックデータに関してはまず「今までのデータ」をもとに、学習の個別化ができることが良いと思っています。
また、そのデータを学習者はもちろん、教える側の人たちが共通して見ることで、適切なフィードバックをできるようになれば学習者の成長を促進できると思います。
それと同時に私は、「今はまだデータのないもの」が見えてくることも面白いなぁと考えています。
例えば、私たちの時代は無料の開発環境はなく、プログラミング教育も受けていないので、中高生の時にITでどのようなものが作れるかを知りませんでした。
しかしiPhoneアプリが作れる環境が無料で提供されやネットも使い放題、GoogleやAdobeの各種ソフトなども学校で使えるような時代になりました。
そんな中、Life is Tech ! では累計16万ダウンロードを突破するほどのアプリを作る中高生も出てきています。
iPhoneがなかった2007年より前の時代に、そのような中高生が出てくるなんて誰も想像できませんでした。なので、これまではデータがなく「これは一体どういうことなのだ?」というような、大人が考えたことのない中高生の可能性が見えてくることが一番面白いと感じています。
ビッグデータの利用でも、過去をより良く知るだけでなく、新しい未来を見つける視点も大事にしてきたいですね。
ーー 私(インタビュアーのみやび)は田舎出身で、地元では今も近代的で画一的な教育が行われています。そんな中、予算面も含めて学校におけるICTの広域な普及に向けて必要なことはどのようなことなのでしょうか。
讃井
学校教育に関しては「予算(お金)があること」と「決裁者がICT導入に対するリテラシーや政策センスを持っていること」が大切だと思います。
ICTが有るか無いかでどれだけ子どもたちの将来や可能性が変化するのかを、上の世代はもっと痛烈に認識するべきです。
ところが今はまだ「どうなのかなぁ、本当にやる意味はあるのかな」となっていることによって、世界の他の国の子どもたちとどれだけ可能性の格差が生まれているのかということです。
ICTは効率化や可能性の拡大に繋がるので、全領域において日本の子どもたちの可能性が毀損されていることの責任を本当に取ってほしいです。
それくらい日本を後進国にしてしまっているのだよと。
リスクがあるからやらないと言っていること自体が間違いで、何もしないことによって子どもたちの可能性に日々、他の国との差がついています。
公立私立問わず、そのようなことを先進的に行っている学校に人が集まりまくればいいと思っています。
私立や公立の中で地殻変動が起きることで危機感を与えることが必要だと思います。
あとは、民間企業が様々に動き続ければ、次第に学校の方も格差を意識できる状態を作れると思います。
もちろん学校や教育委員会に対する働きかけは今後も行っていきますが、まず私たちが一番にできることは、民間として「ICTがあれば、これだけ可能性が広がって良いことなのだ」と学校ではなく、一般の保護者や子どもたちに認識してもらうことだと考えています。
文句を言っているだけでは始まらなくて、どうすれば大きいトレンドや畝りができるのかを私たちも一プレイヤーとしてしっかり考えて行動していきたいと思っています。
〜 必修化のもたらすものとは 〜
ーー 公的な枠組みの中では、いわゆる利権的なものが足かせになってくることもありますか?
讃井
おそらく一部はあるだろうと思います。
過去の取引や関係性の中で変化に対する動きが悪くなっているケースもあると思います。ただ、利権に関わりがある企業だから悪いという単純な話ではありません。
何が大切かというと、学校・教育委員会などが一緒に仕事をするパートナーは、課題に対して適切な仕事ができている企業・団体が選ばれるべきということです。
その点で適切であれば、同じ企業が選ばれ続けることを必ずしも悪とは言えません。
魔法のようにスペシャルな考え方が必要なのではなくて、まずきちんと正しいことを判断できる専門性や課題解決力が必要ですし、その上でやるべきことをしっかりと実行していくパートナーであれば必ず良い方向に行くと思っています。
Life is Tech ! 白金高輪本校にて
ーー 2020年度からプログラミングが小学校で必修化されます。そのプログラミング教育によって子どもたちが獲得できる社会的な資質は非常に大きいと思います。しかし、プログラミングがテスト化されることであったり強制的に教材化されることによる弊害も多々生まれてくると考えています。そのようなことが予想される今後、教育とプログラミングの良好な関係性は期待できるのでしょうか。そしてそれを保ち続けることはできるのでしょうか。
讃井
必修化の功罪は確かにあると思っています。
必修化することのメリットは「広く、経済的な難しさを抱えているどんな子どもたちにも教育が行き届くこと」なので、私は基本的に義務教育化自体は意味があることだと思っています。
それによってパソコンなどICTの導入の大きな後押しにもなるとも思うので。
今までの英語必修化などもそうですが、義務教育化することによる一番大きなリスクは「学びからの逃走」が起きる可能性が増えることです。
できる・できないの議論の前に、楽しくないから学びたくないという子たちが続出して、学ぼうとしなくなるという問題です。
プログラミングに関しては、各地域で学校外のプログラミング教育の場を作った時に、8割くらいの子どもたちが楽しいと感じていたという総務省のデータもあるので、英語等と比べて楽しい活動にはなりやすいという感覚を持っています。
プログラミングはアートのように動かし方が百人百通りです。
なので例えば、学校でテストをするために「Scratchで、この猫を動かしてみよう」と言われた際、計算ドリルのような「必ずこのやり方で、この答えを出さなければならないものだ」と教え手が捉えてしまった場合には、すごくつまらない多様性のないプログラミング教育になる可能性があります。
「楽しいな。もっと学んでみたいな。」と子どもたちに思ってもらうことが義務教育の一番の役割だと思っているので、評価の意味を捉え違えて、プログラミングへの意欲に差がついてしまうような状態には持っていって欲しくはないですね。
正直、知識や能力の評価は後からで良いと思っているので、できれば全員の学びの機会づくりと楽しさを両立することを最優先にして欲しいですね。
ーー ただ現状は、能力を点数化する大学受験の合格が、大多数の学校の命題になっていると思います。なので、その受験という制度が大きく変化しない限り、そこに特化したプログラミング教育にならざるを得ないと思うのですが、その辺りはどう思われますか。
讃井
私は正直なところ、子どもたちを評価すること自体があまり好きではないんです。今は特に評価という手段の目的化が甚だしい。
新しい取り組みをするにしても、目の前の子供たちは明らかに成長している状態なのだから、やればいいじゃないかと私は思います。にも関わらず実際は「テストのように点数化して評価する方法が分からないのでこの新しい活動はできません」と平気で言う人がたくさんいます。評価方法の開発なんて、どうにでもなります。
そして、そもそも子どもたちにとって何が大切かをもう一度考え直すべきです。
本当に大事な評価とは、点数をつけることではなく、目の前の子供たちがどう成長しているかを定性的なデータも含めて把握すること、そして、成長を加速させるためのフィードバックを行うことです。点数化し、差をつけるための評価をすることは、選抜する制度にどう生徒を当てはめていくかでしかなく、生徒の成長を引き出すという目的から乖離していると思っています。
なので、不要な選抜をしたりストレスになる評価はやめた方が良いと考えています。
次回の後半記事では、ネット・通信制高校の課題やGoogleなどの検索サービスを利用した大学受験の話題についてお話を伺います。
(取材:京坂 雅 本記事画像:射落美生乃)
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