【連載|高校生が現代を考える#3】速さに負けず、そして、連載の目的

【連載|高校生が現代を考える#3】速さに負けず、そして、連載の目的

今回で連載3回目を迎えました。いつも読んでくださりありがとうございます。まだまだ、自分の考え、意見などを言葉にすることが難しく、僕が言いたいこと全てを文章に出来ているのか、そしてきちんと伝わっているのか確信を持てずにいます。少しでも、成長していけたらと思いますので、引き続きよろしくお願いします。

さて、前回までの2つの文章の中で、SNSを主に扱い、我々が短絡的になっていないかという問いであったり、SNSによって本物の幸福を見失っていないかという問いであったりを立ててきたと思います。SNSでは、実際に様々な社会問題が現在進行形で発生しており、今後も継続的に注視しつつ付き合い方を見直していかなければならないと思います。

今回は、前回までの文章をうけて、SNS、ひいてはネットと人間の関係を考察し、加えてこの連載の柱となる僕の考えを皆さんにご紹介しておこうかと思っています。


能動的、受動的

インターネットがこの世に登場し、普及し始めた当初は、インターネットとは自分で情報を検索し取捨選択して得るという、明らかに能動的な情報収集の場だったと思います。僕自身は、もう記憶の限りではインターネットがそばにある生活しか送っていないので、過去のことを正確に語れるわけではないのですが、大枠としてはそのような認識で良いと思います。さらに、インターネットは情報発信という本来マスコミ等社会のほんの一部によって提供されていたサービスを、誰もが提供できる状態にしました。いわば、情報発信の大衆化です。

では、インターネットによって情報に触れやすい環境、情報を発信しやすい環境が整ったことによって、人間は賢くなったのでしょうか。生活は便利になったのでしょうか。

見方によると、インターネットの登場によって、人々の生活は大幅に改善され、豊かになったといえるでしょう。しかし、インターネットの登場によって新しい形の詐欺が生まれたり、フェイクニュースの蔓延が叫ばれたり、デジタルディバイド等の社会問題が発生したりと世の中は複雑に、より複雑になっていっているような気がします。

SNSひとつで、人の命が関わるような重大な問題に発展するほど、人間にとってネットの存在は大きくなりました。よく言われることにはなりますが、インターネットの進化の過程で、我々とインターネットとの付き合い方が能動的なものからどんどん受動的になっていっているのではないでしょうか。

知らぬ間に餌食に

ネット上で、情報検索も、学習も、買い物も、会話も、と何でもできるようになってきています。その中で、数えきれないほどのネットサービスに毎日触れ、結果的に僕らはそのサービスを運営している企業、団体などに僕らの情報を提供し続けていることになってしまっています。

暇だからとYouTubeを開くといつのまにかこんなにも時間が経っていた、と少し閉塞感に苛まれることはありませんか。若者ならば、一度や二度とは言わず、何度も経験したことがあるだろうと思います。YouTube上では、毎日膨大な時間分の動画がアップされ、それに負けじと多くの人が大量の動画を視聴するというモデルができあがっています。ゆえに、シリコンバレーはたくさんの人の行動データを集めることができ、「あなたへのおすすめ」の欄に一人一人に最適化された提供してきます。そのレコメンドがあまりにも高品質すぎて、動画を次々に視聴する無限ループから抜け出せなくなることもしばしば。

これと同じことが他のサービスでも起きています。Amazonでは、あなたのチェックした商品と同じものをチェックした人の行動パターンからあなたが買いたくなる商品をレコメンドし、Googleを開けば、あなたの過去の検索履歴、閲覧履歴から興味関心の高そうな記事をレコメンドしてくれています。

彼らが日々進化しているのは、まぎれもない事実ですが、僕の実感として、彼らがレコメンドで失敗することが減ってきたなと思います。つまり、僕もついつい、彼らのレコメンドにうまくのせられてしまうのです。彼らは僕らの気づかないうちに、静かに大きくなっているのです。

うまく付き合うしかない

僕は、彼らの餌食になるのは、人生を支配され無駄にしているように思えて悔しすぎるので、ネットを使うのを減らそう、控えよう、という風潮になることを願っているのではありません。コンピュータやネットによる恩恵には計り知れないものがありますし、少子高齢化に一番乗りで直面している日本はうまく活用して、どうにか今の局面を打開する必要があるのは確かです。

彼らのレコメンドにしても、SNSのタイムラインにしても、流れてきたものを消費するような受動的なネットとの付き合い方を見直す必要があります。あまりに受動的になってしまうと、コンピュータはどんどん我々の内側へと入っていき、将来的に我々の人間としての存在意義という哲学的な、非常に大きな議論をしなければいけなくなるのでそろそろ終止符を打たなければなりません。大げさだと思われるかもしれませんが、先ほども書いたようにプラットフォーマーは僕らの知らない間に化けるのです。急がずとも、遅れてはなりません。

具体的には、やはり、ネットというものを理解するということに尽きると思います。全ての世代において言えることですが、特にデジタルネイティブの世代になるとネットがあって当たり前、とりあえず使ってみれば何とかなるといったネットというものに対して寛容すぎるスタンスで接しているはずなので、一度ネットの本質、それぞれのネットサービスの本質を考えておくべきです。

繰り返しになりますが、プラットフォーマーは化けます!!僕らの生活、仕事を補助してくれるお役立ちロボットが全世界一斉に人間を動かす人工知能を搭載することが可能なのです。Amazonとはどんなサービスなのか、Twitterとはどんなサービスなのか、そしてネットとは何者なのか、といったここ数十年でネットに適応する上で通り越してきた、根本的な部分をしっかりと確立しておくのが無難だと思います。

書くことを通して

僕は、何かの学問の専門家というわけでもなく、プロのライターでもないという、実績なし、肩書なしの普通の高校生ですが、ウェブ上にたまたま書いた文章をあげていたらLearners-high(https://learners-high.blog/)に拾っていただきました。そのことに関しては本当に感謝しています。

ただ、読書などは好きでずっとやってたので、書く方にも自然と興味がわき、何度か文章を書いたことがありました。というのも、欲しい本だけがたまっていき、財布の中身が追いつかないのでネットを駆使して小遣いを稼ぎたい、という雑念がありました。もちろん、収入はおろか、まともに誰かに読んでもらえるということもなく、失敗ばかりでした。

コロナウイルス感染拡大による学校の臨時休校期間中に様々な本を読む機会があり、考えることがたくさんありました。それを、自己満足のためにたまたま書いたものが、巡り巡ってここに繋がっているので、人生何が起きるかわからないとはこのことなのかと驚いています。

この連載の核となる部分を書かずに、まず、SNS・ネット関連の話を書いたのは、報道等を見て少しでも早く、世に訴える必要があると思ったのもありますが、連載の核心にあたる前提の部分だったからでもあります。ここまでの文章で、SNS・ネットによって人々の社会と向き合う文化レベルの低下の危機、精神レベルの低下の危機、そして社会としての危機を取り上げてきました。ネットによって、あらゆるものの変化のスピードが増したと思います。それは、人間が次第に「考えるという行為」を放棄しつつあるという僕の問題意識の原因となっていることだと思います。

ニュースに関して、とりあえずマジョリティーの意見に加担してSNS上に一言投稿しておくのは明らかに「考えるプロセス」を踏んでいません。本来であれば、ニュースの全貌、背景などを考慮したうえで自分がどの立場を取るのか決めねばなりませんが、最近の風潮としてどの意見が主流なのかによって自分の取る立場を決めるということがあるんじゃないかと思います。同様に、ネットだけでなくマスメディアに接していても同じことは起きうるのではないかと考えています。

やはり、一歩立ち止まって考えるくらいの心持ちで暮らすことが求められているのではないかと思うわけです。ひいては、社会と接するスピード感を自分で管理できるような、客観的、俯瞰的、大局的な視点を持って生きていく力が、この忙しない現代でとても必要だと感じます。

したがって、この連載では、世で議論されつくされた問題であろうとなかろうとそんなことは関係なく、自分なりの視点で考えたことを発信していけたらいいなと思います。そして、自分自身としては、答えを求めるばかりではなく、自ら問いを立てる力を養っていければと思います。

これからも連載を続けていく予定ですが、この核がぶれないように、今回この話をさせていただきました。皆さんも、僕の話に共感していただき、今日から少し立ち止まって考える余裕を持った生活を送ろうと思っていただけたのなら幸いです。これからもよろしくお願いします。

(執筆:NGT @ngt_nanoka)

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miyabi_kyosaka
教育実践キュレーター。慶應義塾大学在学中。NPO法人日本教育再興連盟ROJE所属。読売新聞学生記者。日本若者協議会所属。某 AO入試専門塾講師。N高等学校出身。|「未来は予測するのものではなく、この手で創る」をモットーに圧倒的行動で教育を一新しようと、教育ジャーナリズムの活動をしております。