SDGs-3、全ての人に健康と福祉を【連載|高校生が現代を考える#8】

 持続可能な社会、地球を未来に残すための目標を定めたSDGs。この連載では、17回にわたってその17の目標をひとつひとつ読み解き、向き合っていきたいと思います。現代人によって生み出された多くの問題を解決する責任は全ての人にあります。未来の世代に少しでもよい地球を残すため、ぜひ、当事者の一人として、自分にできることを考えつつ読んでいただけたらと思います。


SDGs特集一覧

SDGs-1、貧困をなくそう【連載|高校生が現代を考える#6】

SDGs-2、飢餓をゼロに【連載|高校生が現代を考える#7】


 第8回目となる今回は、SDGsの3つめの目標である「全ての人に健康と福祉を」について考えていきたいと思います。前々回は「貧困」、前回は「飢餓」を取り上げました。どちらも、私たちの生命活動を維持するために重要な問題でした。多くの場合、貧困によってもたらされる食糧難という状況が世界中で未だ解決されていない問題であり、様々な対策を講じて、全ての人の生存権を守らなくてはなりません。しかし、安定的に食糧を得ることが出来たとしても、周りの環境しだいでは様々な病気の危険にさらされた状況で生活を送らなくてはならず、とても生きやすいとはいえないでしょう。安全に生きるために確保しなければならない、「健康に生きる権利」、「社会福祉を受けられる権利」は今後、どうあるべきなのかについて深めていきましょう。

曖昧な言葉を定義する

 中身に入る前に、まず「健康」という漠然とした言葉の意味を捉えようと思います。このような論説文を書く際に、今回の「健康」といった概念を表す言葉が多く用いられますが、時に日常生活ではなじみのない言葉も多く含まれ、定義が曖昧なままで読んでしまうことがあると思います。抽象的な言葉、俯瞰的な視点で観たときにでてくる言葉をここではっきりと定義した上で、具体的な話に進んでいきたいと思います。

 ここでは、僕がこの文章を書くうえで「健康」という言葉をどう定義しているか、ということを記しておきます。

 「健康」と一言で言っても、状態という観点で考えると大きく2つに分けられると思います。1つ目は「身体の健康」、もう1つは「精神の健康」です。そして、目に見えてよくわかるのは「身体の健康」の方だと思います。自分の身に起きていることであれば、不快さを感じたり、痛いと感じたり、あるいは咳が出る、出血するといった症状が出たりという認識になります。視覚的に理解可能な変化は昔から一貫して人類が目にしてきた健康かどうかの判断基準ですが、現代では病院に行くと、様々な検査方法を駆使してもっと詳しく、具体的かつ科学的に健康状態を知ることができます。そして、どちらかといえば私たちは、身体が病気に侵されているよりも、日常的に健康である状態の方が幸せでいられると思います。(もちろん、苦手な人に会う約束がある時や嫌な予定の入った日の前日は熱がでてほしいかもしれませんけど)

 もう一方の、「精神の健康」、「心の健康」の方はどうでしょうか。こちらの方がいささか複雑ですよね。恋人と一緒にいるときは、楽しくて心は健康かもしれません。逆に、恋人に振られれば、がっくりときて心は不安定な状態に陥り、健康的ではないのかもしれませんよね。心にとって、ある程度の悲しい感情やストレスは悪影響ではない、という話も聞きます。絶望の中にいても、それが単純に心の不健康な状態だとは言えないようです。こうなってくると厄介ですよね。僕は、心理学者でも、脳神経学者でもないのでこのくらいにしておこうと思いますが、「精神の健康」の方も、物質的に発展した現代だからこそ、重要度が増しているのは確かだと思います。そして、「身体の健康」と「精神の健康」というのは、両者互いに密接に関わり合っていると思います。

 健康について、ある程度確認できたところで、「身体の健康」、「精神の健康」というそれぞれの健康について深めていきましょう。

身体の健康

 まずは、「身体の健康」の方です。やはり、身体的な健康が確保されていなければ、それは命に関わる問題であり、「精神の健康」の方を議論している暇はありません。しかし、この身体の健康は、その土地の衛生環境や、医療体制という社会的な要因に依存するところが大きいのは確かです。それに加えて、個人個人の健康や病気に対する知識量の差によっても、身体的健康を維持したままに生きられるかどうかは変わってくると思います。

 近年は、衛生状態や医療体制が相対的に劣っている発展途上国で活動している「国境なき医師団」に代表される非政府組織(NGO)などの活動でその状況は改善されつつあります。そして、医療の分野での先進国と発展途上国との間でのサービスの差は多くの人に認識されているため、その格差が是正されるのも時間の問題ではないかと僕は思っています。この連載で、毎回注目しているように、まだ世間であまり議論されていない「別の視点」で、本題に入っていきましょう。

先進国の課題

 そうした時に、僕が思いついた「別の視点」での課題はもっと近いところにありました。物理的にもっと近いところです。ここ、日本にです。それは、言わずと知れた少子高齢化問題です。医療の発達により平均寿命が伸びている一方で、出生数は減っているという現象です。人口ピラミッドが、いかにも不安定そうな構造を指し示しています。長年維持されてきた年金制度も、おおよそ1~2人の若者で1人の高齢者を支えなければならないという未来が、もう、すぐそこまで来ており、将来への不安は高まる一方です。

 とある国では、衛生環境が悪いために命を落としてしまう人が大勢いて、大きな課題となっている一方で、別の国では、発達した医療によって寿命が伸び、様々な問題が発生してしまうという状況です。どことなく幸せそうな課題を我々日本人は抱えているような気分になってしまい、どこか罪悪感を感じてしまうのですが、よく考えれば、これは日本国民の、特に高齢者の方々の社会福祉を受ける権利を保証できるのか、という問題なのです。

 現在の日本の仕組みがそのまま維持されていけば、間違いなくどこかで破綻するのではないかと思います。日本では、人口当たりのお医者さんの数が、他の国に比べて少ないそうです。そんな中で、人口における高齢者の数が増加すれば医療体制が崩壊してしまうのではないか、という懸念が生まれかねません。そこで、もっとAIやロボットといった最先端のテクノロジーを導入して、すこしでも現場で働く人々の負担を軽くしなければなりません。よく、国の制度で規制されているからとか、導入には多額の費用がかかるからとかいった理由で、最新テクノロジーの導入をためらっているといった声が聞かれますし、それゆえに国に規制緩和や補助金などを求める声も多く聞かれます。今回の新型コロナウイルスの感染拡大で、ICTの重要性が認識され始めたようなので、だんだんと普及が進むと予想されます。しかし、もっと問題なのは、私たちが、そういったテクノロジーに対して、信頼感や安心感を感じられるくらいまでなっておかなければ導入したところで現場の負担は減らないのではないかというところにあるのではないでしょうか。つまり、心を有しないロボットに自分の身体を任せられるまでに、抵抗がない状態にしておかなければならないと思うのです。

 最新のテクノロジーによって、遠隔医療なども発達しており、これはグローバルな視点で見ても「全ての人に健康と福祉を」届けるための打開策となるでしょう。だからこそ、もっと私たちが世の中の変化について理解を深め、積極的に取り入れていく姿勢が求められるのではないでしょうか。

精神の健康

 「別の視点」で、健康と福祉を考えたときに思い当たる課題のもう1つは、やはり「精神の健康」をどう保証するか、といったところにあります。先ほど、AIやロボットといったテクノロジーの普及が重要だと述べましたが、すでに日本を含め世界中での普及が進んでいるテクノロジーの賜物「スマートフォン」では、私たちの感じる拒絶が圧倒的に少ないようです。

 つまり、多くの若者にとって「スマートフォン」はなくてはならないものとなっているということです。若者の物質的欲求はスマートフォン一つで十分に満たされるのではないでしょうか。ただし、スマートフォンによって私たちの幸福度はあがったのかというと、熟考の余地があります。

 まだ、登場して十数年しか経っていないデジタルデバイス機器ですが、手のひらの上におさまりながらもそこで出来ることは無限大であり、飽きることはありません。確かに、ツールとしてスマートフォンを有効に活用している人は、仕事の効率化が図れたり、手のひらの上で膨大な量の価値を生み出すこともできます。しかし、そのおかげで何か大切なものを失ってしまったような、そのような感情を抱くことは少なくなく、また、スマートフォンを持っていない高齢者の方などを見ていても、それを持っていないから幸せではないようには感じられません。一日の中の多くの時間をスマートフォンに奪われてしまうこともあり、本当にやりたいこと、そしてやらなければならないことが一向に終わらない、といった時に果たしてそれが幸せとは言えるのでしょうか。

 スマートフォンが、ある種のムーブメントだとするならば、いずれ終息するでしょうが、人類の生み出した最も便利な道具だといっても過言ではないために、ポスト・スマホがでてこない限り、スマートフォンに我々は支配されてしまうのではないでしょうか。「精神の健康」というものの定義が難しい上に、それを取り巻く要因がたくさんあり、「精神の健康」を確保するのはとても難しいように感じます。

 ただ、今回の新型コロナウイルスの感染拡大で、これまで当たり前だったこと、例えば人と会うことであったり、家から出ることであったりといったことさえも自粛しなければならないといった時に、あくまで娯楽だったものの存在の大きさに気づいたのではないでしょうか。生で体験、体感するコンサートであったり、美術展であったりといったものは私たちの生活から消えてもおそらく生きていくことはできるでしょうが、それが豊かな生活となるかといえばそうではないでしょう。現代では、音楽や芸術はスマホ一つで補えるものになってしまっていますが、やはり生で体験、体感することにまさるものではないと思います。自分の心の中を表現することは、はっきり言って難しいことです。決して簡単なことではありません。それでも、自分自身としっかり向き合って、自分の「精神の健康」状態を保っておくことが、様々な自分の感情に対処できるためには必要となるのではないでしょうか。

 少子高齢化問題は先進国として医療制度、福祉制度が整ったある種の弊害であり、「精神の健康」問題は発達した様々なカルチャー・コンテンツとテクノロジーが私たちに与えた試練です。いずれ、他の国々、そして発展途上の国々が追いついてくれば、今の日本のような課題に突き当たる日が来ると思います。課題先進国を生きる、我々日本人に与えられた壁は、世界の未来の難題に立ち向かうために重要な意味を持っているのではないでしょうか。

(文責:NGT @ngt_nanoka)

 

画像引用:https://sdgs-support.or.jp/journal/goal03/

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miyabi_kyosaka
教育実践キュレーター。慶應義塾大学在学中。NPO法人日本教育再興連盟ROJE所属。読売新聞学生記者。日本若者協議会所属。某 AO入試専門塾講師。N高等学校出身。|「未来は予測するのものではなく、この手で創る」をモットーに圧倒的行動で教育を一新しようと、教育ジャーナリズムの活動をしております。