SDGs-12、つくる責任、つかう責任【連載|高校生が現代を考える#18】

 持続可能な社会、地球を未来に残すための目標を定めたSDGs。この連載では、17回にわたってその17の目標をひとつひとつ読み解き、向き合っていきたいと思います。現代人によって生み出された多くの問題を解決する責任は全ての人にあります。未来の世代に少しでもよい地球を残すため、ぜひ、当事者の一人として、自分にできることを考えつつ読んでいただけたらと思います。


SDGs-17 Goals 連載一覧

SDGs-1、貧困をなくそう【連載|高校生が現代を考える #6】

SDGs-2、飢餓をゼロに【連載|高校生が現代を考える #7】

SDGs-3、全ての人に健康と福祉を【連載|高校生が現代を考える #8】

SDGs-4-1、質の高い教育をみんなに【連載|高校生が現代を考える #9】

SDGs-4-2、質の高い教育をみんなに【連載|高校生が現代を考える #10】

SDGs-5、ジェンダー平等を実現しよう【連載|高校生が現代を考える#11】

SDGs-6、安全な水とトイレを世界中に【連載|高校生が現代を考える#12】

SDGs-7、エネルギーをみんなに、そしてクリーンに【連載|高校生が現代を考える#13】

SDGs-8、働きがいも、経済成長も【連載|高校生が現代を考える#14】

SDGs-9、産業と技術革新の基盤をつくろう【連載|高校生が現代を考える#15】

SDGs-10、人や国の不平等をなくそう【連載|高校生が現代を考える#16】

SDGs-11、住み続けられるまちづくりを【連載|高校生が現代を考える#17】


 さて、今回のテーマはSDGsの12番目の目標である「つくる責任、つかう責任」です。財やサービスを生産し、それを流通させ、消費するという循環で現在の世界経済は成り立っています。私たちはその生産者の側にも、消費者の側にも立ち、日々経済活動に関わっているわけですが、その中で私たちに求められる責任とは何なのでしょうか。今回のテーマである「つくる責任、つかう責任」は、そうした日々の生産・消費活動に根ざした目標だと思えます。持続可能な社会を作るために、今私たちにできることを考えていきましょう。

捨てられゆくモノ

 日本やアメリカ、ヨーロッパなど多くの国々で資本主義経済のシステムが導入されていますが、経済体制にかかわらず、現代の発展したグローバル経済の大きな生産・消費システムの中で特に問題となっているのが「ムダ」でしょう。天然資源の枯渇が起きるのではないかと不安しされ、飢えに苦しむ人々がいる中で先進国ではフードロスの問題が露呈し、まだ使えるにもかかわらず捨てられてしまうものがたくさんあります。

 まさに、このことが、生産・消費を基調とする経済体制が今後、持続可能性を失うのではないかと不安視されている所以だといえます。発展した資本主義経済のもとで、製品は過剰に大量生産され、消費者の利己的な消費活動によって販売者には多くの在庫が存在することが前提とするような経営システムが蔓延っているのです。もちろん、品質の安全性や、環境に配慮した生産体制など、時代が進むにつれて見直されるようになってきている事柄はたくさんあり、それらは大いに評価されるべきですが、それでもこの浪費の多い現代の生産・消費システムの上で、僕たちが生産者としての責任、消費者としての責任を十分に果たせているとは言えないでしょう。

解決策

 生産者としては、企業活動によるものが大部分を占めており、個人の働きかけではどうしようもないということもあり得るかもしれません。だいいち、現状の経済システムのおかげで何億人もの人が毎日、安定した生活を送れているわけですから、それを急にSDGsにのっとって変えようなると逆に大混乱が発生してしまい、悪影響を与えかねません。

 しかし、消費者としての私たちに関しては、意識を変えれば、解決できる事柄も少なくありません。例えば、フードロス問題です。これは、いうまでもなく、僕たちが毎日の食事において食べ残しをしないだけで状況は一変するのではないでしょうか。もちろん、まだ食べることができる食品が廃棄されているのは家庭だけでなく、食品産業や外食産業などのビジネスの現場においても同様ですが、せめて家庭での食品の浪費を防ぐだけでも解決への大きな一歩であることに変わりはありません。他にも、可能な範囲では、マイカーを使わずに徒歩での移動や自転車での移動を選択することで、天然資源の浪費を防ぐことにもなり、同時に地球温暖化対策にも貢献できるわけです。

 これを読んだ方の中には、こう思われた方も少なくないでしょう。毎回毎回の食事で食べ残しを出さないようにメニューを考えたり、買い物をする量を考えたりできるわけではない。また、たとえ近距離の移動であっても、それほど時間をかけるわけにもいかず、車を使わざるをえない。消費者としての私たちが持つ責任を果たすためにできる事は、これまでにあげたものにとどまらず、他にも考えればキリがないと思いますが、一向に持続可能な社会を実現させることができていないように感じられるのは、その一つ一つの小さな解決策を実行することが難しいからということに異論はないでしょう。

本物の最適解を探す営み

 この、いかにも合理的で、効率的で、無駄のないように社会が運営されている「ようにみえる」世の中ですが、現実的にあらゆるところで無駄が発生してしまっているわけです。極端な言い方になるかもしれませんが、僕たちはこれまでの人類の長い足跡の中で、どこかで生活に対する余裕を獲得した一方で、どこかで生活に対する余裕を失ってしまったわけでもあります。衣食住が保障されたこの社会で、毎日の生活にちっとも余裕が感じられないのは、つまるところこういうことだったのかもしれません。

 近年では、人類史上、類を見ないほどにグローバル化が進み、本当に今自分の目の前で起きていることが、地球の裏側で起こったことの結果であってもおかしくはないのです。それほどに複雑性が増してしまった今だからこそ、もっとシンプルな道を探れないか、と熟考してみるのもあながち悪くはないのでは、と思います。ただし、これが最適解を見つけろという意味に帰着するのではない、ということを申し上げておきたいと思います。

 最近、僕は食品流通の分野に関心を持っているので、それを例に挙げてみたいと思います。今、日本に住んでいる僕たちがいただくことのできる牛肉はどこで生産されたものでしょうか。国内でも、神戸牛(くらいしか知らなかったのは僕の勉強不足です)、僕の家の周辺では佐賀牛など、ブランド牛と呼ばれる有名な産地がありますね。ただ、日本で僕たちが食べている牛肉は、アメリカ産であったり、オーストラリア産であったりし、まさに世界規模で牛肉が流通しているわけです。

 加えて、食の多様性の進化がさらに加速していく中で、ヴィーガン、ベジタリアンと呼ばれる菜食主義をライフスタイルに持つ方々も見受けられるようです。このトピックに関しては後述させていただきます。

 グローバルな食品流通の世界では、食品の生産と言う座標軸だけでは語り尽くせない様々な付随する問題が発生しています。そこで、今僕が取り組みたいと思っている課題が、「生物の尊厳」に関する問題です。僕たちは、スーパーで外国産の安い牛肉を購入できるわけですが、その中にはいわゆる大量生産という形で生産された牛肉が少なからず含まれています。他にも、先ほど挙げたブランド牛では、牛1頭1頭に対して評価をつけるという行為がなされているわけです。しかし、牛も1頭1頭、みんな同じ命を持っているわけで、それを人間の都合が良いように、かつ、まるでモノを扱っているかのように生産する、しかも大に生産するというのは、たとえ食品を安く手に入れたいと言う市場の需要があったとしても正しい営みなのか。等しく与えられた命をいただくにしても、あの肉は高いからおいしい、あの肉は安いから控えよう、といった価値観に消費行動が左右されている現状で生物の尊厳は守られているのか。僕たちはこのような問題をもう一度考え直さなければならないような気がします。

 もちろん、牛にとどまらず様々な生物の命を頂く事は、僕たちが地球社会の一員として存続していくために必要不可欠な行為ではありますが、過剰に経済システムに適応してしまったがために、大事なものを見ようとしているのではないかと思います。少し取れましたが、これも1つの消費者としての責任を果たさなければならない課題であり、ひいてはフードロスを解決できる糸口の1つになりうると思います。

 それは何故かといえば、グローバル化が急速に進んでいる現代社会で、今、地産地消の取り組みを促進していけば、需要に合った供給、つまり無駄のない生産活動・消費活動が少しでも実現できるのではないかと思うからです。地産地消によって地域経済を回せば、おのずと需要量の目星はつき、それに合わせて緩やかに生産を行っていけば、過剰な生産物は減り、また流通のためにかかる負担も減るので環境問題の解決にもつながります。ただし、この解決策では、僕たちが今享受している食の多様性が失われてしまうという懸念も同時に発生してしまいます。

 また、先程、菜食主義の話に少し触れましたが、身体的な側面において食肉を食べないということならば十分な理解が示せますが、動物を殺してその命を頂くという行為に対抗して、動物性の食品を敬遠するのは如何なものかと僕は思っています。あくまで、僕個人の意見であり、まだまだ議論の余地があることは認めますが、動物性の食品そのものを食べないことで動物の尊厳を守るよりは、今まで上げたような食品の大量生産による弊害、動物の尊厳の問題にもっと目が向けられるべきだと思うのです。食欲は、人間の最も根本的な欲求でありますが、安定的に食料を確保することが可能になった現代において、食に関する倫理的な問題が露呈してきています。毎日、食事をできることの意味を考えるときなのかもしれません。

 1つの解決策を実行しようとすれば、また別の問題が発生してしまい非常に厄介ではありますが、こうして少しずつ小さな一方を繰り返していけば、いずれ僕らの目指すところへ近づいていけることでしょう。目の前の小さな問題を解決に向けて行動するか否かが大きな鍵を握ります。すべての人が生産者であり、すべての人が消費者であるこの現代においてどう動くべきか、今一度考えてみてください。

(文責:NGT @ngt_nanoka)

画像引用元:
外務省『持続可能な開発目標(SDGs)と日本の取組』PDFよりhttps://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/sdgs/pdf/SDGs_pamphlet.pdf  (2020.08.05)

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