SDGs-4-1、質の高い教育をみんなに【連載|高校生が現代を考える#9】

 持続可能な社会、地球を未来に残すための目標を定めたSDGs。この連載では、17回にわたってその17の目標をひとつひとつ読み解き、向き合っていきたいと思います。現代人によって生み出された多くの問題を解決する責任は全ての人にあります。未来の世代に少しでもよい地球を残すため、ぜひ、当事者の一人として、自分にできることを考えつつ読んでいただけたらと思います。


SDGs-17 Goals 連載一覧

SDGs-1、貧困をなくそう【連載|高校生が現代を考える#6】

SDGs-2、飢餓をゼロに【連載|高校生が現代を考える#7】

SDGs-3、全ての人に健康と福祉を【連載|高校生が現代を考える#8】



 今回のテーマは、SDGsの4つ目の目標である「質の高い教育をみんなに」です。僕自身、現役の高校生ですので、教育を受ける側としての意見も組み込みつつ、持続可能な社会を目指していく上での、教育のあるべき姿について考えていきたいと思います。

 学ぶことの重要性を否定する人はまずいないのではないかと思います。しかし、その重要性を認識しつつも、学ぶことへのハードルは低いものではない。自分のこれまでを振り返ってもらえば、そう感じるのではないでしょうか?第三次産業の発展と、コンピュータの急進的な発達により、学習の重要性は日に日に増してきています。それでは、現在求められている学習、教育とはどのようなものなのか、考えていきましょう。

17の目標の中で

 今回のテーマとなる「質の高い教育をみんなに」という、SDGsの4つ目の目標ですが、この目標がSDGsの17個ある目標の中で最も持続可能性に富んでいると思います。というのも、教育は、次世代まで受け継がれる再生産サービスだと言えるからです。これはつまり、今、僕が高校で受けている教育は、人類の長い歴史の中で(多くはここ数百年で)蓄積されてきた知の結晶であり、数十年後には、僕の世代が次の世代へとその知を受け継いでいくということです。教育を人間が手にした知のバトンだとすれば、「持続可能性」というものを感じられるのではないでしょうか。

 また、理由はもう1つあります。SDGsには、全部で17個の持続可能な社会を実現させるための目標が定められているわけですが、その内容は多岐にわたり、環境のことであったり、貧困問題のことであったりします。その課題を一つ一つ解決していくことが何より重要なのですが、まず、そのためにはある程度の知識であったり、思考力であったりを身に付けなければならないと思います。そのような能力をつけるためには、やはり教育が必要です。楽観主義的な見方をする人であれば、今の地球環境も未来の発達した科学技術が解決してくれるだろうと思っているでしょうが、今現在の教育がなければ、そうした革新的な技術はもう生まれてこないかもしれません。人類の文明がこの上なく発展している、複雑極まりない現代だからこそ、教育の重要性に目が向けられても良いのではないでしょうか。

 SDGsの17個の目標について、重要度をつけてランキング化するのは本質的ではありませんし、僕の本懐でもありません。しかし、現役の高校生として、教育を受けている身として、どこか教育が軽く見られているのではないかと思っています。教育がいかに重要なのか、ひいては学習がいかに重要なのかについて再確認する時がきているのかもしれません。

学校に行くということ

 教育の場はやはり「学校」です。僕も先ほど、自分が現在教育を受けている身だと書きました。それは、今、自分が高校生だからです。学生の本分は学習することにあります。しかし、こうして「学習」と「学校」という言葉が互いに対応する関係になってしまっているのは本質的でしょうか?

 わかりやすく言い換えます。学習する場は学校、つまり、学習すべきは学生といった風潮になってしまってはいないか、と思います。多くの人が、義務教育、高校、大学といった学校を卒業し、社会に出たあとは何かを学ぶ、という機会が少ないと思います。仕事上どうしても身につけなければならないスキル等はあるでしょうが、もっと自主的、能動的に学習するという行為から遠ざかっているの思うのです。そして、そういった大人の姿を見て育つ子どもは必然的に学習から離れていってしまうのではないでしょうか。まさに、負の連鎖が起きているのです。

 しかし、人間はいくつになっても何か学んでいることが大切ではないでしょうか。その向上心こそが人が生きるということなのではないでしょうか。そして、学習への意欲の欠如は、先進国で多く起きていると思います。

 今回のテーマである「質の高い教育をみんなに」は、SDGsの他の目標に比べて少し異質です。他の目標、例えば1番目の「貧困をなくそう」、5番目の「ジェンダー平等を実現しよう」、9番目の「産業と技術革新の基盤をつくろう」などといったものとは違い、「質の高い教育をみんなに」では「質の高さ」が求められています。他の目標に倣ってこの4番目の目標を作るならば、「教育をみんなに」で済むはずです。しかし、ここで「質の高さ」についてあえて言及してあるということは、ただ単に世界中に学校をつくり、知識を伝授するだけでは足りないということを表しているのではないでしょうか。

質の高さを追求すること

 では、質の高い教育とは、どのようなものなのか。それを考えたときに、僕が真っ先に思いついたのが、先述した学習への意欲です。やはり、受動的に学ぶより、能動的に、積極的に学ぶ方が学んだことが身につくだろうと思います。しかし、すべての人が意欲的に学習に取り組めるのでしょうか。教育の世界では、これまで様々な方法が検証され効果的な方法を模索してきたでしょうが、全員が意欲的に学習するのは現実的に不可能だと考えるのが当然でしょう。したがって、もっと別のアプローチで質の高い教育を追求していく必要があります。

 学校の配置、教師の配置という量的な問題は、いずれ世界的に解決されると考えれば、どこの国、地域でも質の高い教育が問題として浮上してくるとして、質的な問題に限って考えてみます。

 日本では、義務教育という制度によって、小学校に6年間、中学校に3年間の計9年間、保護者は子どもを学校に通わせなければなりません。そして9割以上の人は、中学校を卒業したのち、高校に3年間通います。よって、日本中の18歳のほとんどは、中等教育あるいは商工農業などの職業に従事するための専門教育を修了しているわけです。義務教育は中学校までですが、日本人の多くは絶対条件であるかのように高校を卒業しているように感じます。

 しかし、高校受験では偏差値によって、ある種学校がランキング化させられており、とどのつまり、中学校卒業の時点で生徒の間には大きな学力の差があるわけです。これは、もちろん先ほどから述べている意欲的な面もあるでしょうが、原因はそれにとどまりません。

発達の過程から見て

 発達心理学という学問では、子どもの発達段階を大きく3つに分けています。おおよそ6歳前後を境目に「直感的思考段階」から「論理的思考段階」に移り、12歳前後では、その「論理的思考段階」から「抽象的思考段階」に移ります。まず、「直感的思考段階」とは状況理解が自分の視覚に大きく左右される状態であり、「論理的思考段階」とは論理的な思考や推理が可能になっている状態です。この境目になっている6歳とはおおよそ小学校へ入学する時期ですが、もちろん発達段階の変化の時期は個人差が大きく、早くから論理的な思考ができる子もいれば、小学校に入学してしばらくたって可能になる子もいるわけです。

 算数で、1桁の足し算を行う文章題は小学1年生で扱いますが、これは明らかに論理的な思考、推理が試される問題です。小学校1年生でテストに出された時点で、クラスに数名、これを解けない子が出てくるでしょう。もちろん、この子たちもいずれは「論理的思考段階」に入るために数年たてば文章題が解けます。しかし、この早い段階で直感的に感じた素直な感情は、諦めを生み、勉強嫌いにつながるのではないかと考えます。

 加えて、小学2年生では掛け算を習います。その時に九九を必死になって暗記するのですが、九九を唱えるさいに6×9と9×6はともに54という同値を取りますが、文章題で掛け算を使う際には6×9と9×6を取り違えると意味が変わってきます。ここで、作業と論理がごちゃまぜになってしまう子に適切なアプローチを取らないと、後で大きな差が生まれるはずです。

 その「論理的思考段階」も、中学校に入学する時期になれば、「抽象的思考段階」へと移行していきます。中学校の数学で、xやyを使った式を扱ったり、理科で目には見えにくい内容(重力の概念や原子、分子レベルの化学)など、抽象的な概念や目に見えないことを知識として身につけられるようになります。しかし、この移行は、前回の「論理的思考段階」への移行よりも個人差が出やすいように感じます。

 おそらくクラスの4分の1から3分の1程度の生徒は、数学でxを使った一次方程式に、より直感的な意味を見出せずに(つまり、抽象的な概念が受け入れられずに)中学校の早い段階で、取り残されます。そして、中学数学を最初からやり直してみようという時間も意欲もないまま、授業だけがどんどん進んでいき、その傷を卒業まで負い続けます。より悪いことに、一次方程式を解く方法さえ教えれば、作業はこなせるので解けてしまう、加えて解けたと認識してしまうという状態になってしまいます。これが日本において問題視される、数学的な能力は高いのに数学嫌いな子が多い、という現状を生み出しているのではないでしょうか。

 学校は、ただ学習をする場ではありません。もちろん、社会性を身につける格好の場として重要視されています。また、ほぼすべての子が「読み書きそろばん」といった、社会で生きていくのに必要最小限の能力を身につけて義務教育を修了します。しかし、時が流れるにつれて、日に日に学習の重要性は増していきます。制度の手続き上、同じ年に生まれた子どもを一斉に義務教育のシステムに組み込むのが最も妥当な流れになります。しかしながら、発達段階の個人差は、現代科学の力ではとても太刀打ちできる相手ではなく、ここに均質化教育の問題点が見え隠れしています。義務教育の制度上の問題点を「正しく」認識して、それを打開するアプローチを早急に打たなければ、この弊害は様々なところで生まれてくるでしょう。

 「質の高い教育をみんなに」という目標の「質の高い」という部分に注目してここまで書いてきました。しかし、皆さんにもう一つ注目してもらいたい部分があります。それは「みんなに」という部分です。次回も同じテーマで、「みんなに」という部分に着目して教育の未来を考えていきたいと思います。

(文責:NGT @ngt_nanoka)

 – 画像引用 –

・『SDGs|目標4 質の高い教育をみんなに|すべての課題解決の為に / SDGsジャーナル』
 URL:https://sdgs-support.or.jp/journal/goal_04/ (2020.6.29)

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miyabi_kyosaka
教育実践キュレーター。慶應義塾大学在学中。NPO法人日本教育再興連盟ROJE所属。読売新聞学生記者。日本若者協議会所属。某 AO入試専門塾講師。N高等学校出身。|「未来は予測するのものではなく、この手で創る」をモットーに圧倒的行動で教育を一新しようと、教育ジャーナリズムの活動をしております。