SDGs-4-2、質の高い教育をみんなに【連載|高校生が現代を考える#10】

 持続可能な社会、地球を未来に残すための目標を定めたSDGs。この連載では、17回にわたってその17の目標をひとつひとつ読み解き、向き合っていきたいと思います。現代人によって生み出された多くの問題を解決する責任は全ての人にあります。未来の世代に少しでもよい地球を残すため、ぜひ、当事者の一人として、自分にできることを考えつつ読んでいただけたらと思います。

 今回のテーマは、前回に引き続きSDGs4つ目の目標である「質の高い教育をみんなに」です。前回は、現役の高校生としての視点を踏まえつつ、「質の高い教育をみんなに」の「質の高い」の部分に着目し、どのような学習、教育が求められているのかについて考えました。複雑性が増している現代社会を生きているからこそ、我々が受ける教育には「質の高さ」が求められています。それを踏まえたうえで今回の本題に入っていきましょう。


SDGs-17 Goals 連載一覧

SDGs-1、貧困をなくそう【連載|高校生が現代を考える#6】

SDGs-2、飢餓をゼロに【連載|高校生が現代を考える#7】

SDGs-3、全ての人に健康と福祉を【連載|高校生が現代を考える#8】

SDGs-4-1、質の高い教育をみんなに【連載|高校生が現代を考える#9】


均質化との差別化

 前回記事の結びで、今回は「質の高い教育をみんなに」の「みんなに」の部分に注目すると予告していました。世界には、経済的な理由で十分な教育を受けずに大人になる子どもが多くいるという現状は周知の通りです。しかし、この連載で度々指摘しているように、そのような量的な不足は、時が経てば自ずと解決していくはずです。水問題であっても、医療問題であっても、そして今回の教育問題であっても、世界に目を向ければその水準にある程度の格差があるのは自明であり、加えてその是正に取り組む団体があり、それを金銭的に支援する母体、政府系機関などがあるためです。つまり、「どこそこの地域には学校がない」という目に見える問題は、いずれ解決されていくということです。

 「みんなに」という言葉に注目した時に、やはり、このような世界に目を向けたときの教育へのアクセスの不平等が真っ先に思い浮かびます。そして、先ほどの論に則ると、時の経過とともに、それは解決されるわけです。国連等のデータを見ても、学校の数、教師の数が足りている地域、足りていない地域が浮き彫りになることはいずれなくなるでしょう。しかし、それが今回のテーマである「質の高い教育をみんなに」を解決したことにはなり得ません。

 不確実性が増す、今の世の中で求められている能力に「想像力」「デザイン力」といった、独創的な能力が挙げられるようになって久しくなりました。計算問題や、一問一答といったどちらかといえば情報処理能力と呼ばれる方面の能力に重きが置かれなくなってきつつあります。そんな中で、世界中の子どもたちが中学校までは卒業できるようになりました、などと誇らしげに言ったところで何も変わらないのではないでしょうか。

 世界各国の教育事情に精通しているわけではないので、詳しいことは申し上げられませんが、日本の義務教育段階のように、同じ教科書を全国の子どもたちが履修するいわゆる「均質化教育」を「みんなに」提供できるようになったところで、時代のニーズにあっていないように感じます。もっと踏み込んだところまでお話しすると、教科書の内容をただ教え込むだけになってしまっている状態なので、教育によって個性が伸ばせていないのが現状だと思います。そして、そのような状態が現代の世の中に合致していないのです。

大切なもの

 ただ、ある程度の情報処理能力は必要ですし、社会科学、自然科学などに関する基礎的な知識は必要となってくるでしょう。ゆえに、学校教育の場において、それらのの素養を教えておくことは重要です。しかし、知識を教わり、テストで満点が取れる人間が社会に求められているとは限りません。

 ここからは日本に限った話になります。日本は、戦後復興から高度経済成長期を経て、開発し尽くされた感があるのを否めません。これ以上、大規模な開発が行なわれる見込みが少なく、ゆえに都市部では立て続けに壊して作り直す、いわゆる再開発事業なるものが行なわれているわけです。また、在来線が敷いてあるうえに、新幹線を開通させ、さらにリニアモーターカーによる高速輸送が開拓されています。ネットが発達した現代において、さらなる高速輸送が必要なのかという議論が起きているのが現状です。

 ある程度完成したといえるであろう日本社会ですが、いうまでもなく、欠陥だらけです。今回のコロナ騒動で都市一極集中問題が浮き彫りになりましたし、今年になっても依然としてオリンピックを東京でやる意義があるのかという議論がありました。加えて、昭和に一気に整備されたインフラは各地で老朽化しており、少子高齢化といった、今後さらに深刻になっていくと予想される社会問題も根強く残っています。つまり、世の中に疑問点を見出し、修正していく必要があります。この修正していくプロセスは、すでに定説となっていること、日常の一部になってしまっていることに対して行なわれる必要があります。すなわち、すでに当然のようにそこにあるものに対して適切な問いを立てる能力が求められています。

 自然科学の領域では、ある現象、あるデータに対して、「なぜ?」という問いを立てることで、新たな真理が発見され学問全体として発展していきます。しかし、中学高校までの自然科学、すなわち理科は、設問の答えを求めることが単位を取る条件であり、入学試験に合格する十分条件と化しています。現代社会の趨勢的に大切なプロセスである「問題提起」をする能力は忘れ去られたまま、公式を暗記し、重要語を暗記し社会に出てしまいます。

 繰り返しになりますが、「質の高い教育」を「みんなに」供給しなければならないのです。みんなが、科学者になるわけでなくとも、問いを立てる能力は必ず今後の社会で重宝されるわけです。二次関数も、三角関数も、ルートの計算でさえも、日常生活で使用する人はほんの一部でしょうが、我々が数学を学ぶのは論理的思考能力を身につけるためなのです。

意義の定義

 みんなが教育を受けられるように、教育が当たり前のものになってしまうと、生徒も保護者も、教育者の側も、そして国の教育機関も、学ぶことの本質を見失ってしまいかねません。もちろん、公的な文書や、学校の教科ガイダンスには、その学問、教科の本質やそれを学ぶ意義がはっきりと記してあるでしょう。しかし、そのようなものは、間違いなく揺らいでしまいます。今の教育がまさにそうなのではないでしょうか。一人一人が、学ぶことの意義を自分の中で確立させておけるかどうかが、将来の人生を左右するだろうと思います。

 学ぶことの意義を自分で認識することが出来ている人は、いくつになっても学び、自信を向上させることが出来るでしょう。しかし、そのようなことが実現出来ないことは、分かり切っています。ただ、社会の変革、パラダイム・シフトの起きやすくなっている今、いつになっても学び直せる、つまり全世代的という意味で「みんなに」教育を提供できる環境が必要です。

いつになっても学べるように

 「生涯教育」、「生涯学習」という言葉がよく聞かれるように、学習に対する世間の関心はさほど小さくはありません。それでも、独学で何かを身につけるにはハードルが高く、一方で誰かに教わりたいと思っても、金銭的な面、あるいは年齢的な面で最初の一歩が踏み出せないということも多いでしょう。もっとフラットに学習できる社会の風潮と環境が必要です。また、独学で学べる能力があるに越したことはありません。しかし、おそらく、多くの人が独学力を身につけられないまま社会に出てしまっていることでしょう。最後に、その点に関する問題提起をしておきたいと思います。

 独学力が身についていない、一つの障壁となっているのは「学習塾」であると僕は考えています。子どもが受験を経験する際に、「学習塾」というツールを利用することは少なくありません。そして、「学習塾」に頼っていれば、偏差値は上がり、上位の学校に(偏差値のランキングでみたときにという意で)合格してしまいます。もちろん、子どもは勉強を頑張りました。必死になって、志望校合格へ向けて毎日のように塾に通い詰めたわけです。ただ、塾のプログラム、もしくは塾の先生が立てた計画に沿って勉強した結果が志望校合格につながったという面もあるという事実を忘れないでほしいと思います。

 学習において意外にも難しいのは、計画を立てるという行為であり、その計画をきちんと守ることであります。その計画を立てる段階を、学習塾という外部に丸投げし、そして塾に半ば強制的にその計画を守らさせられているわけです。学力は伸びたとしても、学習する能力はさほど向上しません。そして、たとえ偏差値の高い学校に通っているとしても、「勉強の仕方がわからない」と悩んでいる生徒が多いのは、このプロセスで志望校に合格したためであると考えます(これは、現役高校生としての実感、体験談です!)。ただし、この塾のいうツールは現在の得点重視型の入試制度に対して明らかに合理的な選択肢でもあるため、一概にNOを突きつけることはできず、保護者を責めることはできません。

 たった一つの価値基準で善悪を定めることはできません。色々な側面を考慮しつつ、生きていくのに必要な能力を身につけていくことが大切です。しかし、あの学校に合格すれば、という目先のことに囚われてしまいがちであると僕は思います。しかも、これは本人に限らず、その保護者もより偏差値の高い学校へ子どもを通わせたいと考えてしまっているのではないでしょうか。よく人生100年時代と言われています。いつ、何が必要になり、何が不必要になるのかなんて誰もわかりません。普遍的なことも身につけておきたいし、好きなことを伸ばしておきたい、話題になっていることを経験させておきたい。それは、子どもが子どもでいるうちに全て叶えられることではないかもしれません。

 持続可能な社会をつくるには、まず、我々人間が持続可能性を手に入れなければなりません。そのために最も必要なのは、教育です。「質の高い教育をみんなに」提供する試みは今後も絶え間なく、なされていくでしょう。しかし、ミクロな視点に立ったとき、つまり、あなたの目の前の子ども、さらにあなた自身にとっての最適な教育、学習はあなたが考えなくてはなりません。これは大きな課題であり、長いスパンで考えなければならない課題だからこそ、難しい問題です。しかし、刻々と時は進んでいます。SDGsの17ある目標のもっとも基礎的、基本的な土台となる部分であるからこそ、真っ先に取り組み始めなくてはなりません。

(文責:NGT @ngt_nanoka)

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miyabi_kyosaka
教育実践キュレーター。慶應義塾大学在学中。NPO法人日本教育再興連盟ROJE所属。読売新聞学生記者。日本若者協議会所属。某 AO入試専門塾講師。N高等学校出身。|「未来は予測するのものではなく、この手で創る」をモットーに圧倒的行動で教育を一新しようと、教育ジャーナリズムの活動をしております。